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渡部篤郎の再婚した嫁や子供は何人か、若い頃や来いよのネタ元や経歴

ドラマ『ケイゾク』などで知られる俳優の渡部篤郎さん。

離婚歴があり、再婚しているようですが嫁はどんな人なんでしょうか?

子供は何人?

渡部篤郎さんの経歴は?

今回は俳優の渡部篤郎さんをリサーチしてみました。

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渡部篤郎の元嫁

渡部篤郎さんが初めて結婚したのは1994年3月。
25歳のとき。

嫁はタレントのRIKACOさん。

元嫁のRIKACOさんは1966年3月30日生まれで、渡部篤郎さんの2歳年上。

結婚時、RIKACOさんは27歳。

RIKACOさんは13歳でモデルとして芸能界デビューし、「シャワー」と言う7人組アイドルグループのメンバーとして、高校1年の15歳の時に、『Do Up・愛・ing(ラヴィング)』でレコードデビュー。

17歳でタレント・女優に転身し、はっきり物をいうキャラクター人気を集め、1992年、26歳の時にはテレビ東京系のバラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』にレギュラー出演し若者のファッションリーダーとして注目を浴びていました。

渡部篤郎さんとRIKACOさんの馴れ初め・出会いはドラマでの共演。

1993年7月から放送されたテレビ朝日系ドラマ『湘南女子寮物語』で共演し、打ち上げで意気投合したそうです。

その後、1週間も経たないうちに同棲を始めたといわれています。

同棲が始まって1ヵ月後に渡部篤郎さんがプロポーズし、出合って8ヶ月のスピード婚になりました。

RIKACOさんは結婚会見で、

『彼の方が2つ年下だけど男らしくて、私の方が甘えちゃってどっちが年上かわからないの』

とコメント。

当時、RIKACOさんは人気タレントで知名度も高く、年収は1億ともいわれていたそうです。

渡部篤郎さんは、1991年に映画『青春の門』で初めて主演しましたが、まだまだ無名で世間的には『RIKACOの旦那』のイメージでした。

しかし、結婚した翌年の1995年公開の伊丹十三監督映画『静かな生活』で、日本アカデミー賞新人賞と優秀主演男優賞をダブル受賞。

ドラマでは1997年に本テレビ系ドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』で演じた狂気のストーカー役で知名度を上げ、1999年にはTBS系ドラマ『ケイゾク』でぶっきらぼうで神経質な刑事・真山徹役がハマりブレイクしました。

離婚したのは2005年12月。

結婚生活は約10年でした。

離婚の原因・理由はドラマ『ケイゾク』で共演した中谷美紀さんとの交際といわれています。

渡部篤郎と中谷美紀の関係

渡部篤郎さんと中谷美紀さんは1999年にTBS系ドラマ『ケイゾク』で共演し、翌年の2000年も日本テレビ系ドラマ『永遠の仔』で共演し仲を深めていったといわれています。

週刊誌で交際が噂され、一時期は関係が絶たれたといわれていますが、2005年に渡部篤郎さんが離婚した後には、関係が戻り同棲を始めたと報じられました。

渡部篤郎さんと中谷美紀さんの交際は15年、2015年頃まで続いたようです。

2015年2月には渡部篤郎さんと中谷美紀さんが
腕を組んで、堂々と東京・西麻布を歩く姿が写真週刊誌に掲載されましたが、同年の夏に破局したようです。

中谷美紀さんは2018年11月にヴィオラ奏者として活躍するティロ・フェヒナーさんと結婚しました。

渡部篤郎の再婚した嫁

渡部篤郎さんが結婚したのは2016年6月。

48歳のとき。

再婚相手は30代の一般女性。

一部の報道では渡部篤郎さんの11歳年下で、元ホステスとされました。

結婚の6~7年前に知り合い、2016年2月には交際が一部で報じられていたそうです。

渡部篤郎の子供は何人?

渡部篤郎さんの子供は4人。

元嫁のRIKACOさんとの子供が2人。

2人とも息子で、

長男が1994年11月

次男が1999年3月

に誕生していいます。

離婚後の親権はRIKACOさんが持ちました。

離婚後も息子とは会っていて、交際していた中谷美紀さんと一緒に会うこともあった報じられています。

再婚相手との子供も2人おり、2017年10月の報道では

『ご夫婦の間にはすでに赤ちゃんが生まれているんですよ。隠してきたわけではなく、ドラマの撮影現場に渡部さんが赤ちゃんを連れてくることもあるんです。そして今回目撃されたとおり、奧さんのお腹には2人目のお子さんもいます。もう妊娠8カ月ほどと聞いています』

引用 https://jisin.jp/

性別は不明ですが、2人の子供がいるようです。

渡部篤郎 来いよの元ネタ

渡部篤郎さんの『来いよ』とはものまね芸人・山本高広さんの渡部篤郎さんのものまねの台詞です。

『肩がぶつかってケンカを売るがめちゃめちゃケンカが弱い渡部篤郎』というタイトルのネタで、『来いよ!ほら来いよ!』と渡部篤郎さんがケンカを売る場面ネタです。

渡部篤郎さんはこのネタについて

『実は「来いよ!ほら来いよ!」ってセリフも一回も言ったことないんですよ。山本が作ってるんですよ』

と話しており、来いよの元ネタはないようです。

ものまねされることも、『イヤじゃないですよ。』と話してして、山本高広さんに会ったときにも『どんどんやってよ』と公認したそうです。

ものまねのクオリティについては、

『自分では似てないと思ってますよ。雰囲気だけね』

と話しています。

渡部篤郎の若い頃

若い頃の渡部篤郎さんの画像。

1989年のドラマで渡部篤郎さんが23歳のころの画像。

1999年のドラマ『ケイゾク』のときの渡部篤郎さんで31歳のころの画像です。

渡部篤郎の経歴

渡部篤郎さんは1968年5月5日生まれ。

本名は渡部篤(わたべあつし)

東京都新宿区出身。

身長は180cm

スターダストプロモーション所属。

兄弟はなくひとりっこ。

父親は渡部篤郎さんがが小学生のころに家出し、以来両親は別居。

母親は新宿でバーを経営し、印刷屋を営む祖父母と4人暮らしだったそうです。

小学生のときは少年野球チームに所属。

両親は映画が好きで父親も家を出るまでは、渡部篤郎さんをよく映画に連れて行ったそうで、渡部篤郎さんは小学生のころには1人で映画館に足を運ぶようになっていたといいます。

中学、高校時代は陸上部に所属。

高校は2年で中退。

高校中退後は母親の店を手伝ったり、肉体労働のアルバイトをしていたといいます。

アルバイト先のひとつだった大道具の会社でエキストラの仕事を紹介されたことが、芸能界入りのきっかけ。

丹波哲郎が運営していた演劇学校である『丹波道場』に所属し演技を学びながらオーディションを受け、日活ロマンポルノにも出演。

1987年、19歳のころ、フジテレビ系ドラマ『はずめ!イエローボール』でドラマデビュー。

当時は本名の渡部篤で出演。

1991年、テレビ東京系ドラマ『青春の門』のオーディションに合格し主演・伊吹信介役で出演。

1994年3月、タレントのRIKACOさんと結婚。

1995年、伊丹十三監督の映画『静かな生活』で知的障害者で福祉作業所の工員として働くイーヨーを演じ、同映画の演技で、

日本アカデミー賞新人賞

優秀主演男優賞

をダブル受賞。

1997年1月、日本テレビ系ドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』で高岡早紀さんが演じる、岸本海につきまとうストーカーの眼科医・三枝辰也を演じ、注目され多くの連続ドラマに出演するきっかけになりました。

1999年1月、TBS系ドラマ『ケイゾク』で刑事・真山徹役でブレイクし、俳優として確固たる地位を確立。

同年4月、日本テレビ系ドラマ『ラビリンス』で主演。

この2つのドラマで、

第20回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞『ケイゾク』

第21回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演男優賞『ラビリンス』

を受賞しました。

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