ハリウッド映画にも出演する俳優の渡辺謙さんの学歴や経歴は?
俳優になったきっかけやハリウッドデビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?子供は何人?
白血病など3度のがんを克服しています。
今回は俳優の渡辺謙さんをリサーチしてみました。
目次
渡辺謙の学歴・経歴
名前 渡辺謙
生年月日 1959年10月21日
出身 新潟県魚沼市
身長 184cm
血液型 A型
所属 個人事務所
父親、母親、4歳年上の兄の4人家族。新潟県北魚沼郡広神村(現在の魚沼市)生まれ。
両親共に教師でした。
小学校は上越市立大手町小学校を卒業。
小学生の時から中学1年生までは、父親の転勤もあり母親方の実家の新潟県上越市で暮らしていました。
中学校小出町立小出中学校を卒業。
小学校卒業後は上越市立城南中学校に入学しましたが、間もなく小出町立小出中学校に転校しています。
中学時代は吹奏楽部部に所属し、トランペットを担当していました。
中学在学中に当時41歳だった父親が、くも膜下出血で倒れ、以降は体が不自由になり介護が必要なっています。
高校は小出高校を卒業。
新潟県魚沼市青島にある男女共学の県立高校で、現在の偏差値が44。
卒業生にはお笑い芸人のおばたのお兄さんなどがいます。
高校時代も吹奏楽部に所属し、トランペットを担当。
高校卒業後が大学などには進学せず、上京し劇団に入団しました。
渡辺謙が俳優デビューしたきっかけ
中学、高校と吹奏楽部で、漠然とミュージシャンになりたいと思い、高校卒業後は音楽大学へ進学を目指し受験勉強もしていましたが、父親が介護生活で働けなかったこともあり、学費の捻出が困難だったため断念しました。
『音楽学校はお金がかかるし、親父もリタイアしたので、無理かもしれないなと。受験勉強もしていたのですが、「表現する仕事がしたい」と思い、劇団のパンフレットを取り寄せました。』
大学と同じ4年間やってみようと、高校卒業後は上京し小さな劇団に入団。
劇団が合わず「どうもここは合わないな」と思い始めた頃に、「演劇集団 円」の舞台『夜叉ヶ池』を観て感銘を受け、1979年にオーディションに合格し「演劇集団 円」の養成所に入所。1982年に劇団員に昇格しました。
大河ドラマで主演
1979年に「演劇集団 円」の研究生になって間もなく受けた蜷川幸雄演出の舞台『下谷万年町物語』のオーディションで研究生ながら主演に抜擢。
1982年に劇団員に昇格後、1983年10月に『未知なる反乱』(TBS)でドラマデビュー、1984年6月公開の『瀬戸内少年野球団』で映画デビューしました。
翌年の1985年の伊丹十三監督映画『タンポポ』で主人公の相棒・ガン役を演じ注目され、1986年にはNHK連続テレビ小説『はね駒』に斉藤由貴さん演じるヒロインの夫役で出演。
翌年の1987年には大河ドラマ『独眼竜政宗』で主人公の伊達政宗に抜擢され、大河ドラマ史上最高の平均視聴率39.7%を記録。28歳で一躍全国的な人気を獲得しました。
渡辺謙がハリウッドデビューしたきっかけ
渡辺謙さんがハリウッド映画で活躍するようになったきっかけは2003年公開のアメリカ映画『ラスト サムライ』でした。
出演の話をもらった時には、「うさんくさそう」と思ったといい、
『「ラストサムライ」?トム・クルーズ?ない、ない!』
と制作側に会うことも断っていたそうです。
しかし、その後「プライベートなリハーサルをやるから(来て)」と言われ行ってみると、現場にはトム・クルーズさんと監督がいて、そこで本当に映画作られることを信じたそうです。
『ラスト サムライ』ではサムライたちを束ねるリーダー・勝元盛次役を演じ、
第76回アカデミー賞・助演男優賞
第61回ゴールデングローブ賞・助演男優賞
第30回サターン賞・助演男優賞
などにノミネートされ、その演技が高い評価を獲得しました。
以降がハリウッド映画でも活躍し、2005年には『バットマン ビギンズ』、『SAYURI』に出演。同年、米国の『タイム誌』の表紙にグラビアが掲載され、『ピープル誌』では「最もセクシーな外国人男性」の1人に選出されています。
2006年12月公開のクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』に、栗林忠道役で日本国外映画初主演。他の日本字キャストはオーディションでしたが、渡辺さんだけは監督から直接出演オファーでの出演でした。
2010年にはレオナルド・ディカプリオ主演の『インセプション』、2014年には『GODZILLA ゴジラ』に芹沢猪四郎博士 役で出演し、2019年の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』でも同役で出演しました。
日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を2度受賞
2006年5月公開の『明日の記憶』で映画初主演を務め、
第30回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞
第49回ブルーリボン賞・主演男優賞
第80回キネマ旬報ベスト・テン・主演男優賞
を受賞。
『明日の記憶』はハリウッドの書店でたまたま手に取って本を読み、白血病の闘病生活の記憶が怖いくらいによみがえってきたといい、原作者に映画化を熱望する手紙を直接送ったことが映画化のきっかけで、映画のスタッフロールで、渡辺さんは「エグゼクティブ・プロデューサー」としてもクレジットされています。
2009年10月公開の主演映画『沈まぬ太陽』でも、
第33回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞
を受賞。
2020年3月公開された『Fukushima 50』では、
第44回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞
を受賞しました。
渡辺謙の結婚歴や妻
渡辺謙さんには3度の結婚歴があります。
最初の結婚は1983年、24歳の頃で、妻は一般女性の由美子さん。
離婚したのは結婚22年目の2005年4月で、約3年半の裁判の末に離婚が成立しました。
女優の南果歩さんと再婚したのは、離婚が成立した9ヵ月後の2005年12月でした。
馴れ初めは2003年1月に放送されたドラマ『異端の夏』での共演だったといいます。南さんも作家の辻仁成さんとの離婚歴があり再婚でした。
『南果歩が乳がんで闘病中に元ホステスの女性と不倫関係にあったことを「週刊文春」に報じられ、2018年に離婚しています。』
離婚を発表したのは結婚13年目の2018年5月でした。
三度目の結婚は63歳の時で、21歳年下でジュエリーデザイナーの女性と再婚したことが報じられました。
渡辺謙の子供は何人
渡辺謙さんの子供は息子と娘の2人。2人とも最初の妻との子供です。
1984年8月に長男の大さん、1996年4月に長女の杏さんが誕生。
大さんも杏さんも俳優として活躍しています。
白血病を克服
渡辺謙さんは3度、がんを克服しています。
白血病を発症したのはNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で主演を務めた2年後の1989年、30歳の時でした。
映画初主演となるはずだあった『天と地と』でカナダ・カルガリーでのロケ中に倒れ降板。代役が榎木孝明さんが務めました。
一時は生命も危ぶまれましたが、化学療法によって寛解し約1年後に俳優に復帰。
しかし、発病から5年後の1994年、主演ドラマ『御家人斬九郎』(フジテレビ)を撮影中に白血病が再発。再び治療し翌年の1995年に仕事復帰しました。
2016年には早期の胃がんが発見され、手術を受けたことを明らかにしてます。2時間弱の手術と4日間の入院後、自宅療養を経て約1ヵ月後に仕事復帰したといいます。