千葉県出身の渡辺正行さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回はお笑い芸人の渡辺正行さんについてリサーチしてみました。
目次
渡辺正行の学歴・生い立ち・経歴
名前 渡辺正行
生年月日 1956年1月24日
出身 千葉県
身長 180cm
血液型 A型
所属 ホリプロコム
中学校・いすみ市立国吉中学校
高校・・大多喜高校
大学・・明治大学経営学部
千葉県いすみ市出身。
実家はやきとり店。
兄と姉がいる3人兄弟の末っ子。
中学校はいすみ市立国吉中学校を卒業。
中学時代は剣道部に所属。
高校は大多喜高校に進学。
大多喜高校は千葉県夷隅郡大多喜町にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は52。
高校時代も剣道部に所属し、副主将を務め、三段を取得ています。
大学は明治大学経営学部に進学。
偏差値は60。
大学時代は落語研究会に所属。
同期にはコント赤信号のメンバーとなる小宮孝泰さんがいました。
高座名は6代目紫紺亭志い朝。
紫紺亭志い朝は明治大学落語研究会に伝わる名跡で4代目は三宅裕司さん、5代目は立川志の輔さんでした。
渡辺正行がお笑い芸人になったきっかけは?
きっかけは明治大学の落研(落語研究会)に入ったことです。先輩に立川志の輔さんや三宅裕司さんがいらして、当時から落語も面白くて、僕にとって憧れの方々だったんです。
引用 https://news.mynavi.jp/
渡辺正行さんは中学、高校と剣道に打ち込んでいて、お笑いどころか芸能界にも一切興味がなかったそうです。
ただ、高校の文化祭などでは自分で劇の台本を書いて、役者としても出ていたり、女子からスカートを借りて、同級生と2人でカツラを被ってベッツイ&クリスのモノマネどをしていたそうで、意識はしていませんでしたが、後から考えると人前に出て何かすることは好きだったようだと話しています。
落語研究会に入ったのも落語が好きだったわけではなく、落語研究会の勧誘を見て、
『バカな人たちが集まっていて楽しそうだな~』
と軽い気持ちで入ったそうです。
入ってみると、真面目に落語を勉強しなくてならず、落語に興味がなかった渡辺正行さんは面倒くさくなって辞めようと思っていたそうです。
そんな時、初めて落語の会で先輩の立川志の輔さんの落語を見て大きな衝撃を受け、落語の面白さを知り、寄席にも行くようになったといいます。
大学在学中の1977年、劇団テアトル・エコー養成所に入所。
当時、先輩の三宅裕司さん、立川志の輔さんは役者を目指していて、渡辺正行さんは芸能界なんて考えたことはありませんでしたが、芸能界を目指す人が自分の大好きな先輩だったので、
『じゃあ俺も目指してみよう』
と芝居を始めました。
渡辺正行 コント赤信号を結成しブレイク
渡辺正行さんは1977年に小宮孝泰さんと劇団テアトル・エコー養成所に入所。
1期上にはラサール石井さんがいました。
渡辺正行さんと小宮孝泰さんがお遊びでコントをやっていたところに、お笑い好きだったラサール石井さんが加わり、1977年10月にコントユニット『コント赤信号』を結成。
リーダーは渡辺正行さん。
コントをを始めたのは、自分たちで役者として舞台に立つにはお金もかかますが、コントだったらどこでもできるし、自分たちのセリフも多くなると考えたからだといいます。
3人でネタを作って、大学の文化祭でやったら大ウケし、役者もやっていましたが、コントがウケたことで芝居からお笑いのほうにシフトしていきました。
1980年にフジテレビ系『花王名人劇場』でテレビデビュー。
暴走族コントやチンピラコント、コーラの一気飲みなどでブレイク。
1982年10月からはフジテレビ系『オレたちひょうきん族』に出演し活躍しました。
渡辺正行 サブ司会者として活躍
渡辺正行さんは1988年10月から日本テレビ系『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の大番頭・サブ司会者として出演。
1989年1月からはTBS系『ザ・ベストテン』の4代目男性司会者に就任。
1992年10月からはTBS系『関口宏の東京フレンドパーク』で副支配人として進行を担当しました。
多くのテレビ番組でサブ司会者として起用され、テレビ業界内外では『芸能界のスーパーサブ』の異名ををとったそうです。
渡辺正行の結婚歴や妻は?
渡辺正行さんの結婚歴は1度。
結婚したのは1999年9月。
43歳の時でした。
妻はフルート奏者の梅澤敦子さん。
年齢は18歳年下で、結婚時は25歳。
1997年頃にラジオ番組で共演したことで出会ったようです。
渡辺正行の子供は何人?
渡辺正行さんの子供は1人。
子供は娘です。
結婚の翌年の2001年1月24日に誕生しました。
渡辺正行さんと同じ誕生日で、生まれた時、渡辺正行さんは44歳でした。