山口県出身の演歌歌手・山本譲二さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
演歌歌手になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は演歌歌手の山本譲二さんをリサーチしてみました。
山本譲二の学歴・生い立ち・経歴
名前 山本譲二
生年月日 1950年2月1日
出身 山口県下関市
身長 174cm
血液型 A型
所属 ジョージ・プロモーション
小学校・下関市立養治小学校
中学校・下関市立日新中学校
高校・・早鞆(はやとも)高校
大学・・大学には進学していません
父親はトラック運転手から、タクシー運転手に転職。
兄弟は3歳年上の姉。
父親は厳格で、厳しく育てられ、幼少期は泣き虫で弱虫だったといいます。
小学校は下関市立養治小学校を卒業。
小学校に入る前から父親が良くキャッチボールをしてくれましたが、最初は野球は好きではなかったそうです。
しかし、いいい球を投げると父親はうれしそうに、『よう届いたな』と笑顔を見せ、
『父が優しくなるなら、もっと上手になろう』
と自然に野球が好きになっていったそうす。
中学校は下関市立日新中学校を卒業。
中学時代は野球部に所属。
野球部には父親の命令される形で入部し、父親には、
『途中でやめたら承知せんぞ!』
と言われていました。
高校は早鞆高校に進学。
早鞆高校は、山口県下関市上田中町にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は39~60。
高校時代も野球部の所属し、3年生の1967年夏に、第49回全国高等学校野球選手権大会に出場。
1回戦敗退でしたが、代打出場として出場し、内野安打で1塁に出塁しました。
高校卒業は、地元の企業に就職しました。
山本譲二が歌手になったきっかけは?
『高校卒業後に上京、新宿の盛り場で弾き語りをしている頃、作曲家・浜 圭介氏と出逢う。』
引用 https://www.teichiku.co.jp/
山本譲二さんは幼少期から歌を唄うことが好きな子供で、親戚の集まりの時には歌を唄っておひねりを貰っていたそうです。
高校1、2年の時に野球部の先輩にの命令で、よく歌を唄わされ、上手かったことから校内新聞で、
『山本譲二 いつも歌を歌っている。その歌が絶品』
と書かれたそうです。
そのことから歌手になりたいと思うようになり、高校卒業後に就職しましたが、数ヶ月で退職し上京。
歌手になることは父親には猛反対されましたが、山本譲二さんは
『父さんの夢は甲子園に出場して果たしたやん。今度は俺の夢を追わせてくれ!』
と言い返し、そのまま夜汽車に乗って上京しました。
上京後はパチンコ店員、キャバレーのボーイなど職を転々とし、キャバレーのボーイ時代に肝臓を壊してやむなく帰郷。
母親がテレビを見て、
『譲二さんもこんな番組に出られたらいいのに』
と言ったことで奮い立ち、22歳で再び上京。
『あの出会いがなかったら歌手にはなれなかった。奇跡ですよ』
弾き語りの流しの仕事を始め、何件か顔を出している店のひとつで偶然、作曲家の浜圭介さんと出会い、誘われて芸能界入りしました。
山本譲二 代表曲はみちのくひとり旅
山本譲二さんは1974年7月、24歳の時に『夜霧のあなた』で歌手デビュー。
芸名は『伊達春樹』で、アメリカ映画『ダーティハリー』からとりました。
デビュー曲は鳴かず飛ばずで、故郷に電話した時には『お前の歌、誰も知らんぞ』と言われたそうです。
広島でキャンペーンをやった時は、、どうにも身動きが取れなくなってしまい、実家の父親に電話すると、反対していたにも関わらず、車に機材を積んで助けに来てくれたといいます。
『なんで北島のオヤジだったか、明確な理由はないんですよ。「この人だ」って決めた。それだけなんです』
山本譲二さんは北島三郎さんへの弟子入りを心に決め、通い詰めて10日目に初めて声をかけられ、翌日から付き人生活が始まりました。
25歳の時でした。
1796年、読売テレビ制作の歌謡オーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場し、10週勝ち抜くなど実績を残し、1976年7月に本名の山本譲二で『そばにおいでよ』を発売し再デビューしましたが、やはり鳴かず飛ばずでした。
1980年8月に4作目のシングル『みちのくひとり旅』をリリース。
30歳の時でした。
北島三郎さんからは、
『この曲で駄目なら、もう諦めろ』
と言われていたといいます。
『みちのくひとり旅』は発売当初は売れず、ヒットしたのは10ヵ月後でした。
1981年にフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』に注目曲として出演すると、大きな反響を呼び大ヒットに繋がりました。
オリコンチャートは4位にランクインし、同年末には、
第23回日本レコード大賞 ロング・セラー賞
を受賞し、『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。
紅白歌合戦には2004年までで13回出場。
山本譲二の結婚歴や妻は?
山本譲二さんが結婚したのは1987年、37歳の時でした。
妻はは5歳年下で元女優の悦子さん。
植木悦子さんは栃木県小山市出身で、高校卒業後の専門学校に在学中にスカウトされ芸能界入り。
モデルとしてCMなどの出演した後、、女優として『必殺仕置人』や『二十四の瞳』などに出演していました。
出会いは結婚の9年前で、浜圭介さんの事務所で出会いました。
その時は、話すことはありませんでしたが、後日に山本譲二さんが弾き語りをしていたクラブに、知人が連れてきたことで、礼儀正しく、飾らない人柄に 惹かれて猛アタックし、交際に発展。
交際当初はまだ歌手として芽が出てなく、悦子さんに経済的に依存し、小遣いをもらう日々だったといいます。
悦子さんは当時のことを、
『私自身がファンだった。いつか多くの人に歌を聴いてほしいという思いだった』
と振り返っています。
みちのくひとり旅が大ヒットし手5年後のは1987年に、交際期間約9年間を経て結婚しました
山本譲二の子供は何人?
山本譲二さんの子供は娘が2人。
1988年3月に長女の琴乃さん
1991年3月に次女の妹果さん
が誕生しました。
長女の山本琴乃さんは2008年から2012年まで歌手として活動していました。
2016年12に結婚し、2017年3月には孫(男児)が誕生しています。