東京都出身の映画監督、タレント・山本晋也さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は映画監督の山本晋也さんをリサーチしてみました。
山本晋也の学歴・生い立ち・経歴
名前 山本晋也
生年月日 1939年6月16日
出身 東京都
身長 156cm
血液型 AB型
中学校・早稲田中学校
高校・・早稲田高校
大学・・日本大学芸術学部演劇学科
東京都千代田区出身。
父親は大手ゼネコンの建築士。
母親は女学校卒のお嬢様育ちで、和文タイプライター。
家族は、父親、母親、祖母、妹3人。
父親は教育に厳しく、5歳頃からは長男として育てられたたといいます。
中学校は父親の勧めで、早稲田中学校に進学。
早稲田中学は、東京都新宿区馬場下町にある私立の男子校。
早稲田中学校の現在の偏差値は68。
完全中高一貫制の学校で、高校は早稲田高校をに進学しました。
父親は自分と同じ、建築家の道に進んで欲しかったそうで、大学は早稲田大学の建築科に進むものだと思っていたようだといいます。
『家ではいつもおやじの上司の名前が飛び交ったり、上司の家にお歳暮を持って行ったり。そんなことに嫌気していたんです。』
しかし、山本晋也さんはサラリーマンにだけはならないと思っており、大学は日本大学芸術学部演劇学科に進学。
父親は日本大学芸術学部に合格を知ると怒り、入学金を支払ってくれず、親戚に出してもらったそうです。
父親は大学2年生の時に他界。
大学時代に、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)でアシスタントディレクターを務め、大学卒業後は記録映画会社の岩波映画製作所に入社しました。
山本晋也映画監督デビューしたきっかけは?
記録映画会社の岩波映画製作所に入社後、でカメラマンを務め、1964年には、記録か芸術かでもめた市川崑監督の映画市川崑監督の映画『東京オリンピック』に164人のカメラマンの1人として参加。
岩波映画製作所ではえいが監督のて羽仁進さんに師事し、助監督を務めました。
山本晋也 映画監督デビュー後
初監督作品は1965年公開の成人映画『狂い咲き』。
以降、1970年代まで約250本の作品を撮影。
監督デビュー作の『狂い咲き』はスリラー仕立てのシリアスな作品でしたが、その後の作品の多くははコメディータッチで、このことから山本晋也さんは、
『“ピンク・コメディー”というジャンルを開拓したパイオニア』
と評されているといいます。
中でも、『未亡人下宿』シリーズはドル箱作品となり続編も多数作られ、ピンク映画のヒットメーカーとして一躍脚光を浴びました。
成人映画で名を上げた後、タレントとしてテレビ番組にも出演。
1981年4月からテレビ朝日系の深夜ワイドショー番組『トゥナイト』にリポーターとして出演。
後継番組の『トゥナイト2』も含めると、通算で約21年間出演しました。
2002年に番組終了後もコメンテーター、リポーターとして活動。
2003年には番組の企画で北朝鮮へ渡り平壌の様子を伝えています。
山本晋也の結婚歴や妻は?
山本晋也さんが結婚したのは1967年頃のようです。
28歳頃の結婚でした。
名前はキミ子さんという情報がありました。
年齢、馴れ初めなどは不明でした。
山本晋也に子供はいる?
山本晋也さんの子供は娘がいるようです。
『山本晋也さんの長女・児嶋都(こじま みやこ)さん』
引用 https://www.tv-asahi.co.jp/
娘の児嶋都さんは漫画家。
1990年、『近代麻雀』でデビュー。
主にホラー漫画で活躍しているようです。