福岡県出身のモノマネ芸人・山本高広さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
モノマネ芸人になったきっかけは?
結婚歴や妻は
子供はいる?
今回はモノマネ芸人の山本高広さんをリサーチしてみました。
山本高広の学歴・生い立ち・経歴
名前 山本高広
生年月日 1975年2月19日
出身 福岡県
身長 162cm
血液型 A型
所属 アクロスエンタテインメント
中学校・・北九州市立戸畑中学校
高校・・・戸畑中央高校
大学・・・大学には進学していません
専門学校・調理師専門学校
福岡県北九州市出身。
父親は経営コンサルタント。
実家は酒屋で、母親が昼から『角打ち』を経営していたそうです。
近所には新日鉄(現在の日本製鉄)の3交代制の製鉄所があって、店は帰りに立ち寄る製鉄所の作業員で夜まであふれかえっていたといいます。
父親は高学歴で、『勉強しろ』と口癖のように言われたそうですが、小学生の頃から勉強は嫌いだったそうです。
中学校は北九州市立戸畑中学校を卒業。
高校は戸畑中央高校を卒業。
戸畑中央高校は、福岡県北九州市戸畑区天籟寺にあった男女共学の県立高校。
2003年に定時制単位制となり、ひびき高校に改称されています。
高校卒業後は、福岡市の調理専門学校に進学。
1年半通った後、福岡県内のホテルのレストランでコック見習いとして働きました。
23歳の頃に退職しました。
山本高広がモノマネ芸人になったきっかけは?
『最初は俳優を目指していたんです。当時は自分、イケメンだと思っていたので(苦笑)。』
引用 https://www.oricon.co.jp/
山本高広さんは小学生の頃から、学校の友達や先生などのモノマネをしていたそうです。
初めてやったモノマネは、政治家の麻生太郎さん。
地元福岡県が選挙区の麻生太郎さんの選挙カーが、自宅前を通っていたことから『麻生太郎』と書いたタスキを自分で作り、学校の廊下で手を振りながら『麻生太郎をよろしくお願いします』と叫びながら歩いていたといいます。
福岡県のホテルでコック見習いとして働いていた23歳の時に、朝の調理場で仕込み用のネギを切っていた時に、
『俺がやりたいのはこれじゃない』
と思い退職し、声優学校を調べて上京。
1年間学校に通いましたが、声優事務所には入れず、俳優を目指し劇団にも入団しましたが、間関係がうまくいかずに1年で退団。
その頃に、テレビでコージー冨田さんと原口まさあきさんのモノマネをテレビで見て、
『俺にはものまねがあるじゃないか』
と気付き、翌日には事務所を調べオーディションを受けるとすぐに合格しました。
山本高広 織田裕二のモノマネでブレイク
山本高広さんの織田裕二さんのモノマネは、高校時代に同級生の女子から『顔が似てる』と言われたことを思い出して始めたそうです。
2003年、28歳の時に織田裕二さん主演ドラマ『踊る大捜査線』の複数の役を1人でモノマネするというネタで、初のテレビ出演。
2007年に、世界陸上大阪大会でキャスターを務めた織田裕二さんのハイテンションな解説のものまねでブレイクしました。
32歳の時でした。
『あと一人だけですよね。織田さんかな?お会いしてないんでね、そもそも』
山本高広さんはケイン・コスギさん、渡部篤郎ん、高橋克典さんなどのモノマネレパートーがありますが、2021年のラジオで織田裕二さんは公認をもらっていないと話しています。
2022年のインタビューでも会ったことはないとい話しています。
織田裕二さんの事務所からは
『うちの織田を傷つけるような発言などに気をつけていただければ、大丈夫です』
という趣旨のコメントが出されているといいます。
織田裕二さんとは、テレビ局で楽屋が近かったことはあったそうですが、行く勇気はなかったそうです。
山本高広の結婚歴や妻は?
山本高広さんが結婚したのは2014年2月22日。
39歳の時でした。
妻は一般女性。
年齢は13歳年下で、結婚時は26歳。
馴れ初めは友人との食事会。
交際期間約1年を経て結婚しました。
山本高広に子供はいる?
山本高広さんに子供がいるという情報はありませんでした。(2022年12月現在)