京都府出身の俳優・山西惇さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の山西惇さんについてリサーチしてみました。
山西惇の学歴・生い立ち・経歴
名前 山西惇
生年月日 1962年12月12日
出身 京都府
身長 170cm
血液型 B型
所属 リコモーション
小学校・京都聖母学院小学校
中学校・東大寺学園中学校
高校・・東大寺学園高校
大学・・京都大学工学部
京都府京都市出身。
本名は畑中敦史。
父親は建築家。
両親は学生演劇をしていました。
小学校は京都聖母学院小学校を卒業。
京都聖母学院小学校は、京都府京都市伏見区深草田谷町にある私立小学校。
カトリック精神に基づいた教育をしている学校です。
勉強が好きな子供で、小学校4年生の時から塾に通い、自分から中学受験をしたいと切り出したといいます。
中学校は東大寺学園中学校、高校は東大寺学園高校を卒業。
東大寺学園中学校・高校は、奈良県奈良市山陵町にある私立の男子校。
東大寺学園中学校の現在の偏差値は75。
東大寺学園高校の現在の偏差値は78。
全国でもトップクラスの難関校です。
進学校に合格した山西惇さんでしたが、入学してみると、同級生は、塾に張り出された紙で見たことがあるやつばかりで、頑張っても平均点に届かず、自分のできなさ加減に驚いたといいます。
好きだった勉強が少し嫌になって、息抜きで音楽を聴くようになり、高校時代にはバンドを組んで『クィーン』のコピーをしていました。
高校2年生の頃に、大学受験に向けて本腰を入れて勉強し、大学は京都大学工学部石油化学科に進学。
偏差値は65。
大学時代は、京都大学の学生劇団を母体とする劇団そとばこまちに所属。
大学卒業後は、関西の石油化学メーカーに就職し、研究職として勤務しました。
山西惇が俳優になったきっかけは?
『僕が唯一夢中になれたのは、(会社での)研究ではなく芝居でした(笑)』
引用 http://www.teinenjidai.com/
山西惇さんは大学を卒業して、1986年に石油名ーカーに就職後、演劇を離れました。
しかし、1年後に親交の深い生瀬勝久さんが『劇団そとばこまち』の座長になったことから、入社2年目からは会社勤めと演劇活動の両立を始めました。
会社と演劇の両立は難しく、生瀬勝久さんの、
『食うくらいなら、なんとかなるで』
の言葉もあり、1989年に会社を退職し、芝居に専念しました。
生瀬勝久さんは2歳年上で、同志社大学を卒業する際に企業の内定を蹴って、
『1回きりの人生なんやから』
と芝居を選んでいて、そんな生瀬勝久さんの言葉だったから背中を押されたそうです。
山西惇 俳優に専念後
演劇に専念後は、生瀬勝久さんと二人三脚で数々の舞台を作っていきました。
2001年に2人揃って、劇団そとばこまちを退団。
同年1月に相棒のpre season 第2話に角田六郎役で出演。
以降、相棒のレギュラー放送開始後も、『ヒマか?』でお馴染みの角田課長役を演じています。
俳優としてだけではなく、京都大学卒業という経歴を買われ、クイズ番組にも出演しています。
山西惇の結婚歴や妻は?
山西惇さんが結婚したのは2009年。
46歳の時の結婚でした。
妻は19歳年下の女性。
結婚時は27歳でした。
妻の職業はスタイリストや舞台スタッフとの情報がありました。
山西惇に子供はいる?
山西惇さんの子供は4人。
子供は娘が3人と息子が1人です。
2019年5月のインタビューで、
長女が小学4年生
長男が小学2年生
次女が幼稚園年長組
三女が幼稚園年中組
と話しています。