東京都出身の漫画家・ヤマザキマリさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
漫画家になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は漫画家のヤマザキマリさんについてリサーチしてみました。
目次
ヤマザキマリの学歴・生い立ち・経歴
名前 ヤマザキマリ
生年月日 1967年4月20日
出身 東京都
身長 163cm
高校・・・・ミッション系の高校
美術学院・・国立フィレンツェ・アカデミア美術学院
東京生まれ、北海道千歳市育ち。
父親は指揮者でしたが、生後間もなく他界。
母親はヴィオラ奏者で、札幌交響楽団に在籍していました。
母親は普段はサウジアラビア在住の建設技師と再婚。
交響楽団を辞めるつもりはなかったため、別居婚で後に離婚しています。
母方は代々カトリックで、ヤマザキマリさんも幼児洗礼を受けているといいます。
兄弟は2歳年下で、父親違いの妹。
小学生の頃に住んでいたのは団地。
10歳頃までは、母親の意向でバイオリンを習っていました。
中学、高校は学校は不明でしたが、ミッション系の学校だったとの情報がありました。
高校は17歳で中退。
中退後、大学入学資格検定を取得し、イタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院に入学。
美術史と油絵を学びながら、イタリアで11年間過ごしました。
ヤマザキマリ 14歳でヨーロッパ一人旅
14歳の中学生の時に、母親が行くはずだったヨーロッパ旅行に行けなくなり、
『一カ月間、ヨーロッパに行ってきてよ』
と言われたことで、14歳の冬に海外の一人旅を経験。
ドイツ、フランスベルギーを旅しました。
パリではイタリア人の陶芸家でマルコというお爺さんと知り合い、ヤマザキマリさんの年齢から、『家出』と勘違いされ心配されたそうです。
マルコ爺さんとはその後、母親が連絡を取り合うようになったといいます。
ヤマザキマリ 17歳からイタリア留学
ヤマザキマリさんは中学時代から画家になりたと思っていて、中学2年の三者面談では、
『画家になりたい』
と告げています。
先生には『絵では食べていけない』と言われましたが、母親は、
『本人が決めることですから』
ときっぱり言ったそうです。
高校でも先生には画家になることを『薦められない。』と言われました。
『一回行ってみなさい。ダメだったら、イギリスへ行き直せばいいんじゃないの』
ヤマザキマリさんはイギリスへの留学を考えましたが、イタリアへの留学は、中学の時のヨーロッパ旅で知り合ったマルコ爺さんと母親が連絡を取り合って決めたといいます。
ヤマザキマリが漫画家になったきっかけは?
『油絵だと食べていけないので、絵をかいて食べていける職業って何だろうって思ったら“漫画だ”って思い立って』
ヤマザキマリさんはイタリアで油絵を学びましたが、画家として食べていけず、チリ紙交換、チラシ配り、店員、通訳など様々なアルバイトで生計をたてていました。
『漫画を描けばお金になるよ』
と助言をしてくれたの現地の知人だったそうです。
油絵しか描いたことがなかったヤマザキマリさんは、日本人留学生からもった漫画で独学で勉強。
初めて漫画を描いたのは28歳の時でした。
『新人賞に引っかかったもんだから、賞金10万円出て』
1996年にイタリア暮らしを綴ったエッセー漫画でデビューしました。
ヤマザキマリ テルマエ・ロマエがヒット
2008年から連載を開始した古代ローマがモチーフのギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』がヒットし、2010年マンガ大賞受賞。
2012年には阿部寛さん主演で映画化され、興行収入59.8億円の大ヒット。
2014年には2作目が公開され、興行収入44.2億円を記録しました。
ヤマザキマリの結婚歴や夫は?
ヤマザキマリさんが結婚したのは2002年。
35歳の時の結婚でした。
夫は文学研究者のイタリア人男性。
年齢は14歳年下で、結婚時は21歳の大学生。
夫は14歳の時のヨーロッパ一人旅の時に出会ったマルコ爺さんの孫。
マルコ爺さんが亡くなった後、ヤマザキマリさんがマルコ爺さんの娘家族の家に行ったことで出会いました。
ヤマザキマリさんと夫は意気投合し、古代ローマについて語り合ったそうです。
夫はヤマザキマリさんの帰国後に、食事も食べれず衰弱して入院。
その後、交際がスタートし結婚しました。
ヤマザキマリの子供は何人?
ヤマザキマリさんの子供は1人。
子供は息子です。
1995年に誕生しました。
名前はデルスさん。
結婚した夫との子供ではなく、イタリア留学時代に交際していた、4歳年上の詩人の男性との子供です。
交際10年目に妊娠し、27歳の時にシングルマザーとして出産しました。
出産後、息子の父親に生活力がなかったことで分かれたそうです。
ヤマザキマリさんが結婚した時、息子のデルスさんは7才ぐらいでした。