神奈川県出身の柳沢慎吾さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
あばよとは?
結婚や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の柳沢慎吾さんについてリサーチしてみました。
柳沢慎吾の学歴・生い立ち・経歴
名前 柳沢慎吾
生年月日 1962年3月6日
出身 神奈川県
身長 165cm
所属 ハーキュリーズ
小学校・小田原市立山王小学校
中学校・小田原市立白鴎中学校
高校・立花学園松田高校
大学・大学には進学していません
神奈川県小田原市出身。
実家は八百屋を経営していました。
3歳年上の姉がいる2人兄弟。
小学校は小田原市立山王小学校、中学校は小田原市立白鴎中学校を卒業。
両親は店で忙しく、柳沢慎吾さんは家ではいつもテレビに夢中だったそうです。
中学時代はバレーボール部でポジションはセッター。
高校は立花学園松田高校を卒業。
立花学園松田高校は神奈川県足柄上郡松田町松田惣領にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は38~50。
高校時代に芸能界デビューし、大学などには進学していません。
柳沢慎吾が俳優になったきっかけは?
「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」でチャンピオンになるなど芸能界入りのきっかけをつかむが、同じくらい熱中していたのが青春ドラマだった。
引用 https://www.sponichi.co.jp/
柳沢慎吾さんは子供の頃から人を笑わせるのが好きで、学校の先生や近所のおばちゃんのモノマネを家族や友人に見せていいました。
『ひとり甲子園』のネタの原型は中学時代に生まれたそうです。
高校1年生の時に、友人とTBS系で放送されていた素人参加番組『ぎんざNOW!』の『素人コメディアン道場』で第19代チャンピオンになり芸能界入りしました。
お笑いでコンビで番組に出演しましたが、その頃の夢は、芸人ではなく俳優でした。
柳沢慎吾 デビュー後
1979年12月、TBS系ドラマ『3年B組金八先生』の7話の不良生徒役で俳優デビュー。
当時17歳でした。
翌年の1980年、大河ドラマ『獅子の時代』に瑞穂屋丁稚役で出演。
1981年4月から放送されたフジテレビ系ドラマ『翔んだライバル』でドラマ初主演。
1983年5月から放送されたTBS系ドラマ『ふぞろいの林檎たち』でメンバーのムードメーカーでありトラブルメーカーの西寺実役を演じ、同ドラマはパート4まで放送され、俳優としての地位を確立しました。
当時21歳でした。
バラエティ番組でも活躍し「うるさい」「落ち着きのない」キャラクターで知られます。
柳沢慎吾のあばよとは?
柳和慎吾さんの決め台詞は『あばよ』。
この『あばよ』は1989年放送のフジテレビ系お見合い番組の『ねるとん紅鯨団』の芸能人大会で柳沢慎吾さんが元・おニャン子クラブの内海和子さんに告白して玉砕後の捨て台詞でした。
翌年の1990年にも出演し吉田美江さんに断られ、その時の捨て台詞は『いい夢見させてもらったよ! あばよ!』でした。
この捨て台詞が大ブレイク。
後に日本テレビ系で『慎吾のいい夢見ろヨ!』が放送されています。
『いい夢見ろよ』はJRAで競馬場内でのはずれ馬券飛散防止のポスターにも採用されたこともあります。
柳沢慎吾の結婚や妻、子供は?
柳沢慎吾さんが結婚したのは1992年11月。
30歳の時でした。
妻は元はヘアメイクの女性。
年齢は4歳年下。
妻は柳沢慎吾さんの行きつけの美容室の美容師で、その後、柳沢慎吾さんの担当になったことがきっかけで交際に発展したそうです。
柳沢慎吾さんの一目惚れだったといいます。
交際期間6年を経ての結婚でした。
プロポーズはドライブ中に路上に止まり、
『俺と一緒にいい夢を見ていこうぜ』
と言ったそうです。
柳沢慎吾さんに子供はいないようです。