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吉田鋼太郎の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や生い立ち・経歴

東京都出身の吉田鋼太郎さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

俳優になったきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は俳優の吉田鋼太郎さんについてリサーチしてみました。

吉田鋼太郎の学歴・生い立ち・経歴

名前   吉田鋼太郎
生年月日 1959年1月14日
出身   東京都
身長   174cm
所属   ホリプロ

 

吉田鋼太郎の学歴

中学校・日野市立第三中学校

高校・聖パウロ学園高校

大学・上智大学

父親は商社マン。

『鋼太郎』の名前の由来は父親の名前に『鐵』が入っていて、それよりも優れた金属ということで『鋼』になり、長男なので『鋼太郎』になったといいます。

小学校6年生まで大阪で育ち、中学に上がるタイミングで東京都日野市に移りました。

中学校は日野市立第三中学校を卒業。

中学ではバレーボール部に所属。

友人とアコースティックギターのバンドも組んでいました。

高校は聖パウロ学園高校を卒業。

聖パウロ学園高校は東京都八王子市下恩方町にある男女共学の私立高校。

現在の偏差値は46~51。

吉田鋼太郎さんが通っていたと時は男子校で全寮制でした。

2002年に男女共学になり、全寮制も廃止になっています。

大学は上智大学文学部ドイツ文学科に進学。

大学ではシェイクスピア研究会に在籍。

演劇サークルですが、体育会系で大学に入学して最初の試験とサークルの公演の仕込み日が重なり、

『先輩、試験があるので仕込みに行けません』

と言うとめちゃくちゃ怒られて、それから授業にはほとんど出られなかったそうです。

大学は後に中退。

大学を辞めたにことついて両親はなにも言わなかったといいます。

母親は若い頃は絵描きになりたかった人で芸術に理解があり、商社マンだった父親は上智大学の出身で、自分と同じ大学に入ったことだけで喜んでいたそうです。

吉田鋼太郎が俳優になったきっかけは?

『俳優を志すきっかけは、高校2年の時。劇団雲のシェークスピア劇「十二夜」を見て衝撃を受けた。』

引用 https://www.sponichi.co.jp/

高校の英語の先生にチケットをもらったことで舞台『十二夜』を観たそうです。

事前に原作を読みましたがよく分からなかったそうですが、舞台を観たとたん、その面白さに胸を鷲掴みにされたといいます。

チケットをくれた先生が上智大学のシェイクスピア研究会出身だったので、吉田鋼太郎さんもそこに行こうと決意。

大学在学中、シェイクスピア研究会公演『十二夜』で初舞台を踏みました。

吉田鋼太郎 舞台俳優

大学中退後、21歳の時に劇団四季の入団試験を受け合格し、6ヶ月在籍。

劇団四季のストレートプレイに興味がありましたが、ちょうどミュージカル中心の路線に変更する時期だったの半年で退団したそうです。

その後、劇団『シェイクスピア・シアター』に入団。

研究生の時に大きな役をもらっって自信がついたといいます。

『演劇一本で食べられるようになったのは、30代の前半くらいだと思います。』

30代になったばかりの頃に、ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』で役を得て、約200ステージほどこなしました。

41歳の時、演出家の蜷川幸雄さん演出の『グリークス』に初参加。

蜷川幸雄さんのしごきには尻込みしたそうですが、

『良かったよ。何にも縛る物はないから、好きなことをやっていい』

と言ってもらい嬉しかったそうです。

その後、主役にも抜てきされ、舞台のスターに押し上げてくれた蜷川幸雄さんには感謝しているといいます。

吉田鋼太郎のブレイクのきっかけ

吉田鋼太郎さんは51歳まで出演の9割以上が舞台の仕事。

映像作品にはほとんど出演してませんでした。

吉田鋼太郎さんは26歳の時に、ドラマの仕事が入り、意気込んで撮影に臨んだものの、放送を見てみると後頭部だけしか映ってなく、そのことにかなり落胆したし、それ以降、映像作品のオファーを拒絶するようになったそうです。

しかし、実際は顔もはっきり映っており、後にその映像を見た吉田鋼太郎さんは、驚き

『どこで記憶がゆがめられてしまったのだろう』

と話しています。

映像の仕事に復帰するきっかけは小栗旬さんでした。

蜷川幸雄さんの舞台で知り合った、小栗旬さんに自身の監督する映画『シュアリー・サムデイ』の出演のオファーを受けましたが、舞台で大声を出して演技をすることが身体に染みついていて、カメラの前で繊細な演技をすることに不安を感じオファーを断っていたといいます。

しかし、小栗旬さんの、

『小さい声でいいんです。ぼそぼそしゃべる(演技)ということも、やってみた方がいい』

とのアドバイスで、映像の仕事をやることを決意。

2010年頃から本格的に映像の仕事を始め、2013年に『半沢直樹』で主人公・半沢直樹の味方をする上司・内藤寛役。

2014年には朝ドラ『花子とアン』の伯爵家の令嬢・蓮子の元夫の石炭王・嘉納伝助役で注目され大ブレイク。

同年12月の単発ドラマ『東京センチメンタル』でドラマ初主演。

2016年1月から放送された連続ドラマの『東京センチメンタル』で連続ドラマ初主演しました。

吉田鋼太郎の結婚歴や妻は?

吉田鋼太郎さんの結婚歴は4回。

最初の結婚は1979年の20歳の時。

大学のシェイクスピア研究会で出会ったそうです。

ただ、これは入籍はしておらず、事実婚でした。

吉田鋼太郎さんの結婚歴が4回とされるのはこれを入れてのことです。

2回目の結婚の相手は芝居関係の仕事をしていた人である日、家を出て行ってしまったといいます。

3回目の相手は一般人とうことしか情報がありませんでした。

2014年には元宝塚の安蘭けいさんとの交際が奉じられていました。

その後、2015年4月に交際期間5年で破局したと報じられています。

吉田鋼太郎の現在の妻は?

吉田鋼太郎さんがの4回目の結婚は2016年1月。

56歳の時でした。

妻は22歳年下の女性。

結婚時は34歳。

妻とは2015年9月に知人主催のパーティーで出会い、交際に発展。

同年12月上旬の吉田鋼太郎さんがプロポーズし、元旦に入籍。

出会って約4ヶ月のスピード婚でした。

吉田鋼太郎の子供は何人?

吉田鋼太郎さんの子供は2人。

2番目の妻との間に息子。

4番目の妻との間に娘がいます。

娘は2021年3月に誕生したことが発表されました。

生まれた時、吉田鋼太郎さんは62歳、妻は39歳でした。

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