東京都出身の女優・吉永小百合さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
女優デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優の吉永小百合さんをリサーチしてみました。
吉永小百合の学歴・生い立ち・経歴
名前 吉永小百合
生年月日 1945年3月13日
出身 東京都
身長 155cm
血液型 O型
所属 吉永小百合連絡事務所
小学校・渋谷区立西原小学校
中学校・渋谷区立代々木中学校
高校・・精華学園女子高校
大学・・早稲田大学第二文学部西洋史学専修
東京都渋谷区出身。
姉と妹がいる3姉妹。
父親は東法学部卒業後、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社『シネ・ロマンス社』を経営しましたが失敗。
その後は身体を壊し、働けなくなったといいます。
母親はピアノの先生でしたが、父親が事業に失敗してからは、借金取りや差し押さえの税務署員が来るなど生活は貧しかったそうです。
小学校は渋谷区立西原小学校を卒業。
子供の頃は病弱で、小学4年生までは毎年肺炎で入院していたそうで、医師、看護師に世話になっていたので、看護師になりたいと思っていたそうです。
学校は休みがちでしたが、成績は優秀でした。
中学校は渋谷区立代々木中学校を卒業。
中学時代は演劇部に所属。
高校は駒場高校に入学。
駒場高校は、東京都目黒区大橋にある男女共学の都立高校。
現在の偏差値は68。
入学した翌年に精華学園女子高校に転校。
精華学園女子高校は、現在の東海大学付属市原望洋高校。
千葉県市原市能満にある男女共学の私立高校。
男女共学になったのは、東海大学付属市原望洋高校と改称になった1986年からで、吉永小百合さんが通っていた時は女子校でした。
大学は早稲田大学第二文学部を卒業。
西洋史学専修。
偏差値は60。
大学では馬術部に所属。
大学は次席で卒業しました。
吉永小百合が女優デビューしたきっかけは?
『その当時のTBSに親戚の人がいて、オーディションがあるから受けてみたらどうかと私の両親に言って、それで応募したんです』
オーディションに合格し、1957年、小学6年生の時にラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。
同年10月から放送されたテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビューしました。
吉永小百合 女優デビュー後
1959年3月公開の映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
13歳の時でした。
1960年11月公開の映画『ガラスの中の少女』で映画初主演。
1962年6月公開の主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』をリリースし歌手デビュー。
同曲は50万枚を超えるヒットとなり、同年末の、
第13回NHK紅白歌合戦
に初出場。
17歳の時でした。
紅白歌合戦には1966年までに5回出場しています。
1985年に主演映画『おはん』・『天国の駅』で
第8回日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞
を初受賞。
以降、1989年『つる -鶴-』・『華の乱』、2001年『長崎ぶらぶら節』、2006年『北の零年』と、最優秀主演女優賞を計4度受賞しています。
主に映画で活動し、テレビドラマには1989年を最後に出演していません。
舞台劇に出ない女優として知られており、舞台は未経験です。
吉永小百合の結婚歴や夫は?
吉永小百合さんが結婚したのは1973年。
28歳の時の結婚でした。
夫は当時、フジテレビプロデューサーだった岡田太郎さん。
年齢は15歳年上で、再婚でした。
吉永小百合さんは1966年の映画『愛と死の記録』で渡哲也さんと共演し、交際に発展。
当時、吉永小百合さん22歳、渡哲也さんは25歳でした。
2年ほど交際しましたが、吉永小百合さんの両親の反対で破局。
吉永小百合さんはパリに傷心旅行にいったといわれています。
吉永小百合さんは精神的はストレスから『声が出なくなる』という症状にみまわれ、そんな吉永小百合さんに親身になって、治療法を模索したのが夫の岡田太郎さんでした。
岡田太郎さんは、
『声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ』
とアドバイスを送り、吉永小百合さんはそんな岡田太郎さんに惹かれ、交際がスタート。
あくまで仕事の打ち合わせのように装って、密会を重ね、吉永小百合さんの逆プロポーズで結婚に至りました。
吉永小百合に子供はいる?
吉永小百合さんには子供がいません。