群馬県出身の歌手・由紀さおりさん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
歌手になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は歌手の由紀さおりさんをリサーチしてみました。
目次
由紀さおりの学歴・生い立ち・経歴
名前 由紀さおり
生年月日 1948年11月13日
出身 群馬県
身長 156cm
血液型 A型
所属 田辺エージェンシー
小学校・横浜市立豊岡小学校
中学校・洗足学園第一中学校
高校・・洗足学園第一高校
大学・・洗足学園短期大学英文科
群馬県桐生市生まれ、神奈川県横浜市育ち。
本名は安田 章子(やすだ あきこ)。
父親は飛行機工場の工場長として勤務。
戦後は工場の閉鎖など、終戦処理の仕事を終えた後、由紀さおりさんが3歳の時に、神奈川県横浜市鶴見区に移りました。
5歳年上の姉は歌手の安田祥子さん。
小学校は横浜市立豊岡小学校を卒業。
子供の頃はかなりの人見知りだったといいます。
中学校が洗足学園第一中学校、高校は洗足学園第一高校を卒業。
洗足学園第一高校は東京都目黒区にあった私立の女子校。
2008年に閉校になっています。
洗足学園第一高校の閉校した頃の偏差値は48ぐらいだったようです。
大学は洗足学園短期大学英文科を卒業。
現在の洗足こども短期大学。
神奈川県川崎市高津区にある私立大学。
現在の偏差値は43。
由紀さおりが歌手になったきっかけは?
由紀さおりさんはひばり児童合唱団出身。
同合唱団は1955年に目黒区洗足に移転しましたが、由紀さおりさんが3歳で横浜市鶴見区に移ったさいには近所にあったそうです。
姉の祥子さんが入団し、4歳だった由紀さおりさんはまだ1人で留守番ができなかったため毎回姉にくっついて行っているうちに、
『どうせなら、あなたも入ったら』
と声をかけられ、年少のクラスに入団。
これがきっかけで姉とともに童謡歌手にとして活動するようになり、中学3年生の頃にはCM曲を歌う仕事なども入ってきたそうです。
ひばり児童合唱団に中学3年生まで在籍しました。
由紀さおり 夜明けのスキャットが大ヒット
1965年2月、『ヒッチハイク娘』で歌謡曲の歌手としてデビュー。
18歳の時で、本名の『安田章子』名義でした。
『安田章子』名義で4作のシングルをリリースししましたがヒットに恵まれず、1969年に由紀さおりとして再出発。
同年3月にリリースした『夜明けのスキャット』が大ヒット。
週間オリコンランキングで1位になり、1969年度年間でも1位を獲得。
最終的には150万枚を売り上げるミリオンセラーとなりました。
同曲は深夜ラジオ番組『夜のバラード』のOPとして制作され、スキャット部分のみ録音したそうですが、放送開始後、番組リスナーから放送局やレコード店への問い合わせが相次ぎ、レコード化が決定したそうです。
同年末に20回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦には2012年までに13回出場。
ソロでの出場以外に姉の安田祥子さんのユニットとしても10回出場しています。
由紀さおりの結婚歴や夫は?
由紀さおりさんの結婚歴は2回、離婚歴は2回。
最初の結婚は1969年。
20歳の時でした。
夫はCM音楽プロデューサーの大森昭男さん。
年齢は12歳年上。
大森昭男さんは『君のひとみは10000ボルト』や『ウイスキーが、お好きでしょ』などのCMを世に出した人物です。
出会いは由紀さおりさんが中学3年生の時で、プロポーズは高校3年生の時だったといいます。
しかし、父親に大反対され、短大卒業するまでは結婚を待ったそうです。
離婚したのは1983年。
結婚14年目でした。
結婚した1969年にリリースした『夜明けのスキャット』が大ヒットし、仕事が忙しくなるにつれ、すれ違うようになり、結婚7年目に1976年には別居していました。
由紀さおりの再婚した夫は?
『結婚も2回しましたが、女の人生を振り捨ててまで歌の道を選んだのですから、答えを見つけないとお相手にもご無礼です。』
引用 https://fujinkoron.jp/
由紀さおりさんも2回結婚したと話していますが、2回目の結婚は入籍はしておらず、事実婚のようです。
再婚したのは2000年頃。
54歳の頃でした。
夫はアメリカ在住でインターネット会社社長の柴冨哲也さん。
出会いは1992年で、由紀さおりさんは渡米し芸能界も引退するつもりでしたが、母親に猛反対され断念。
1999年に母親が亡くなった後、一周忌を終えた2000年に、交際8年を経て事実婚の関係になりました。
由紀さおりさんが事実婚の関係になっても歌手活動を続けたため、2人の間にも距離が生まれ、2006年に別れました。
由紀さおりに子供はいる?
由紀さおりさんに子供がいるという情報はありませんでした。