神奈川県出身のRIKACOさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
元夫は俳優の渡部篤郎さんですが結婚の馴れ初めや離婚理由は?
子供は何人?
今回はタレントのRIKACOさんについてリサーチしてみました。
目次
RIKACOの学歴・生い立ち・経歴
名前 RIKACO
生年月日 1966年3月30日
出身 神奈川県
身長 169cm
所属 LDH JAPAN
高校・日比谷高校
大学・大学には進学していません
神奈川県横浜市出身。
本名は吉川莉加子。
実家はパン屋を経営。
姉は4歳年上。
高校は日比谷高校・定時制に入学。
東京都千代田区永田町ある男女共学の都立高校。
定時制は2007年に廃止になっています。
高校は中退し、大学にも進学していません。
RIKACOが芸能界入りしたきっかけは?
13歳でスカウトされモデルデビュー。
引用 https://www.rikaco.co.jp/
人気雑誌のモデルとして活動し、1981年11月の15歳の時、資生堂『シャワーコロン』のCM用キャンペーングループを作るため、田辺エージェンシーによって行われたオーディションに合格。
『シャワー』という7人組アイドルが結成され、翌年の1982年2月に『Do Up・愛・ing(ラヴィング)』でアイドル歌手でビュー。
当時の芸名は村上理佳子でした。
RIKACOのタレントとしてブレイク
1983年、17歳の時、タレント、女優に転身。
1984年から美と健康をテーマにしたテレビ朝日の深夜番組『ミントタイム』でサブMCを担当。
1985年4月から放送されたテレビ東京ドラマ『花の女子校 聖カトレア学園』にレギュラー出演し、はっきり物を言うキャラクターの生徒役で注目されました。
1985年7月公開の映画『V.マドンナ大戦争』で映画デビュー。
1986年3月から日本テレビの深夜番組『11PM』に月曜アシスタントとしてレギュラー出演。
1992年4月から放送されたテレビ東京系バラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』にメインレギュラーとして出演し、物怖じしない振る舞いと辛口コメントが大受け。
元ファッションモデルの下地も生かし、ファッションリーダー的存在としても人気を集めました。
『すでに年収1億円ともいわれる売れっ子になっていた。』
引用 https://www.excite.co.jp/news/
当時26歳でした。
RIKACOと元夫の渡部篤郎の馴れ初めは?
RIKACOさんと渡部篤郎さんが結婚したのは1994年3月。
27歳の時でした。
渡部篤郎さんは2歳年下で25歳でした。
馴れ初めは結婚の前年の1993年7月から放送されたテレビ朝日系ドラマ『湘南女子寮物語』での共演。
このドラマの打ち上げで意気投合し交際がスタート。
交際8ヶ月のスピード婚でした。
当時の渡部篤郎さんはまだ無名の俳優で、当時年収1億ともいわれていたRIKACOさんさんとの結婚はマスコミに格差婚とささやかれました。
しかし、渡部篤郎さんは翌年の1995年9月公開の映画『静かな生活』で、日本アカデミー賞・新人賞と優秀主演男優賞をダブル受賞。
1996年にはテレビ朝日系『外科医柊又三郎2』で矢島兆次を演じ民放のゴールデンタイムのドラマ初出演。
1999年の日本テレビ系ドラマ『ケイゾク』のぶっきらぼうな刑事・真山徹役がハマり役になりブレイクし、一流の仲間入りを果たしました。
2001年には世田谷の住宅街に3億円といわれる新居を建設しています。
RIKACOと元夫の渡部篤郎の離婚理由は?
RIKACOさんと渡部篤郎さんが離婚したのは2005年12月。
結婚11年目でした。
原因は言わずと知れた女優・中谷美紀との“略奪不倫”といわれている。
引用 https://npn.co.jp/
渡部篤郎さんと中谷美紀さんは1999年にドラマ『ケイゾク』で共演し、2000年にもドラマ『永遠の仔』で共演し、その後、熱愛がに発展したといわれています。
『私は子供をすごく大事に思ってたから、離婚したくても気持ちってもしかしたら変わるかもしれないじゃない?だから『自由にしていいから、待とうよ』って言ったの』
離婚は渡部篤郎さんから切り出され、RIKACOさんは子供のことを考えて『待とうよ』と提案、しかし1年後も渡部篤郎さんの意思は変わらず、RIKACOさんは離婚を決意。
離婚の際には『子育ては一緒にしよう』という取り決めをしたそうです。
渡部篤郎さんは2016年に再婚しましたが、RIKACOさん再婚していません。
RIKACOの子供は何人?
RIKACOさんの子供は2人。
2人とも息子です。
1994年11月に長男
1999年3月に次男
た誕生しました。
離婚時、長男は11歳、次男は6歳でした。
2人の息子の離婚の親権、養育権はRIKACOさんが持ちました。
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