神奈川県出身の俳優・嶋田久作さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきかっけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の嶋田久作さんをリサーチしてみました。
嶋田久作の学歴・生い立ち・経歴
名前 嶋田久作
生年月日 1955年4月24日
出身 神奈川県
身長 180cm
血液型 O型
所属 ザズウ
中学校・横浜市立瀬谷中学校
高校・・幾徳工業高等専門学校(中退)
大学・・東洋大学文学部
神奈川県横浜市出身。
中学校は横浜市立瀬谷中学校を卒業。
高校は幾徳工業高等専門学校に入学。
幾徳工業高等専門学校は神奈川県厚木市下荻野にあった高等専門学校。
本校を母体に1975年4月に幾徳工業大学が開学したことで、全ての卒業生を送り出した1978年に廃校にっています。
嶋田久作さんは同校を体調不良から4年次で中退しているようです。
高専は3年次修了していると、大学入学資格をえられます。
大学は東洋大学文学部哲学科を卒業。
大学卒業後はコンピューター会社にプログラマーとして就職しました。
嶋田久作 佐野史郎とバンド活動
嶋田久作さんは幼い頃からザ・ビートルズに憧れ、音楽に興味があり、楽器も得意でメロディーを聴くとすぐに演奏できたといいます。
大学4年生の時に友達に別の大学のバンドサークルを紹介され、その大学の学園祭でバンドデビュー。
バンドが面白くなり、就職活動よりもバンドに夢中になったといいます。
当時は長髪で、担当楽器はキーボード。
バンド名は『タイムスリップ』。
バンドのメンバーにはヴォーカル、ギターの佐野史郎さんがいました。
『5年間やりましたけど、4回しかライブやってない。ファンなんかつくわけがないじゃないですか』
バンド解散後ははアルバイトでやっていた庭師になりました。
嶋田久作が俳優になったきっかけは?
『一度だけやってみようかなと思って参加して、結果的に2年くらいやった』
引用 https://hochi.news/
1984年に嶋田久作さんのバンド時代を知る演出家の飴屋法水さん誘われ劇団『東京グランギニョル』の旗揚げに参加。
当時、芝居は佐野史郎さんが所属していた状況劇場を2、3度見た程度で興味はなかったそうですが、飴屋法水さんの何とも言えない魅力を感じ、一度だけならと引き受けたそうです。
劇団解散まで続けましが、この時は役者を職業としては意識していなかったといいます。
嶋田久作 帝都物語でデビュー
嶋田久作さんは1988年1月公開の映画『帝都物語』で映画デビュー。
32歳の時でした。
劇団時代に『帝都物語/ガラチア』を上演した際に嶋田久作さんの演技が関係者の目にとまり、同映の加藤保憲役に抜擢されました。
翌年の1989年9月公開の『帝都大戦』でも同じ役を演じました。
『役者を職業として意識したのは、『帝都大戦』の準備に入ったときです。』
引用 https://taishu.jp/
一作目の『帝都物語』の時はまだ庭師のアルバイトしていましたが、庭師の仕事でケガをして撮影ができなくなったら困るとの制作側の判断で、庭師を辞めることになったそうです。
そのまま映画制作会社の預かりになり、俳優の仕事しかなくなり、食べていけるかの自信もないまま、本格的に俳優生活をスタートしたといいます。
嶋田久作の結婚歴や妻は?
嶋田久作さんが結婚したのは1990年10月のようです。
35歳の時の結婚でした。
2012年10月の自身のブログで
『昨日は僕らの22回目の結婚記念日でした。』
と書いています。
嶋田久作に子供はいる?
『子どものないぼくら夫婦にとって』
引用 https://dot.asahi.com/
嶋田久作さんに子供はいないようです。
妻の連れ子だったと言う猫を飼っていいて、その猫を看取った後、一度『もうネコは飼わない』と決めたそうですが、妻がペットロスになって気持ちの慰めになればと動物園やペットショップに行っているうちロシアンブルーの子ネコと出会い、迎えたそうです。
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