渡辺裕之さんは茨城県出身の俳優。
渡辺裕之さんの嫁は女優の原日出子さんですが、出会いや馴れ初めは?
子供は息子と娘?
若い頃や現在の活動、学歴や経歴は?
今回は俳優の渡辺裕之さんをリサーチしてみました。
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渡辺裕之の大学などの学歴や経歴
名前 渡辺裕之
生年月日 1955年12月9日
出身 茨城県水戸市
身長 176cm
所属 ユニコン株式会社
渡辺裕之さんは茨城県水戸市育ち。
父親はカメラマンで、実家はカメラ屋とフォトスタジオを経営。
3人兄弟の長男。
中学は水戸市立第三中学校
高校は水戸商業高校(偏差値55)
大学は拓殖大学商学部(偏差値50)
家族が映画好きで、渡辺裕之さんもウエスタン映画を観て、小学校高学年くらいからは『映画スターになりたい過』と思うようになったといいます。
小学2年生からボーイスカウトに参加し、世界ジャンボリーで英語を話したのを機に英会話に興味を持ち、よく通っていたジャズ喫茶で外国人と接するうちに覚えて独学で英語力を身につけました。
石原裕次郎さんなどのドラマーを主人公にした映画に影響され。小学4年生からジャズドラムを演奏していました。
中学3年生の頃には大人に混じってドラマーとしてアルバイトをし、高校進学後にはバンドを結成。
俳優でミュージシャンになりたいと思いながらも、長男で家の跡継ぎという意識もあり、商業を勉強するため拓殖大学商学部に進学。
大学時代には大手航空会社ルフトハンザでアルバイトしたことでドイツ語も学んだそうです。
渡辺裕之 独力で俳優デビュー
大学卒業後は、ルフトハンザの知り合いの紹介で、語学力を生かし外国人モデルのマネージャーを約2年経験。
その後は俳優になるため、実家のスタジオで宣伝用の写真を自撮りして、マネージャーとして営業に行っていた広告制作会社などに売り込みを開始。
そうして、最初に仕事をもらったのは1980年で『コカ・コーラ』CMの仕事でした。
その2年後の1982年、「ファイトー!」「イッパーツ!」の台詞で有名な大正製薬『リポビタンD』のCMに出演して注目されました。
CMの撮影で親しくなった撮影カメラマンに声をかけられ、1982年公開の映画『オン・ザ・ロード』に主演し俳優でビュー。
渡辺裕之さんは27歳でした。
渡辺裕之さんはデビュー当時、芸能事務所や劇団には所属していなかったため、演技を習ったことはなく、後に渡辺裕之さんは、
『そういうルート(芸能事務所や劇団)への入り方が分からなかった。「いきなりスカウトされて映画スターだろ!」という考えが自分の中にありました(笑)。』
と話しています。
デビュー後、いくつかの映画、ドラマに出演しますが、評価は振るわず。
これでダメだったら実家に帰ってフォトスタジオを継ごうと考え、背水の陣で、1986年6月から放送されたフジテレビ系の昼ドラマ『愛の嵐』
に出演。
『愛の嵐』は人気を博し、1988年には『華の嵐』、1989年には『夏の嵐』が制作され、渡辺裕之さんはすべてのドラマに出演。
これらのドラマは内容は別物ですが『嵐三部作』『グランドロマン』と呼ばれ、主婦や若年層の女性を中心に社会現象にもなり、渡辺裕之さんもブレイクしました。
渡辺裕之と嫁の原日出子の馴れ初めは?
渡辺裕之さんが結婚したのは1994年。
原日出子さんは渡辺裕之さんの4歳年下。
渡辺裕之さんは40歳、原日出子さんは36歳での結婚でした。
渡辺裕之さんは初婚したが、原日出子さんは再婚。
原日出子は1983年に高校時代の同級生と結婚し、4年後の1987年に離婚しています。
渡辺裕之さんと原日出子さんの出会い・馴れ初めはドラマでの共演。
2人は恋人役を演じ、渡辺裕之さんから交際を申し込んだそうです。
交際約3年で結婚しました。
渡辺裕之の子供は息子と娘?
渡辺裕之さんの子供は娘2人、息子1人の3人。
1983年生まれの長女・真実さん。
真実さんは原日出子さんの連れ子です。
1994年生まれの次女・磨裕美さん。
1996年生まれの長男・貴裕さん。
の3人です。
長男の渡辺貴裕さんは俳優として舞台を中心に活動しています
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