鹿児島県出身の俳優・迫田孝也さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の迫田孝也さんをリサーチしてみました。
迫田孝也の学歴・生い立ち・経歴
名前 迫田孝也
生年月日 1977年4月6日
出身 鹿児島県
身長 170cm
血液型 O型
所属 ホリプロ
高校・・鶴丸高校
大学・・広島大学 教育学部
鹿児島県河内(現・薩摩川内市)生まれ。
父親は高校教師で、幼少期から鹿児島県内で引っ越しが多く、川内から、田代町(現・錦江町)、指宿市、鹿児島市と移りました。
小学生は、鹿児島県の観光PRなどをする薩摩大使に任命され就任視した際に、県知事の三反園訓(当時)と同じ指宿市の柳田小学校出身であることが報じられています。
出身中学校は不明ですが、中学時代はバレーボール部に所属。
高校は鶴丸高校に進学。
鶴丸高校は、鹿児島県鹿児島市薬師にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は74。
鹿児島県でトップクラスの進学校です。
高校時代もバレーボール部に所属し、ポジションはリベロ。
大学は広島大学 教育学部を卒業。
偏差値は55。
父親が教師だった影響と、中学、高校とバレーボール漬けでしたが、専門の指導者がいなく、指導者がいればもっと結果をだせたのではないかとの思いがあり、保健体育の先生になって、バレーボール部の顧問になろうと思って保健体育の専門コースがある広島大学を選んだそうです。
大学でも体育会のバレーボール部に入部しています。
しかし、大学3年生の時に大きく方向転換し、大学卒業後は上京し俳優を目指しました。
迫田孝也が俳優になったきっかけは?
『きっかけは地元鹿児島での山田洋次監督のスタッフさんたちとの偶然の出会いです。』
引用 https://archive.hiroshima-u.ac.jp/
体育教師になろうと広島大学に入学した迫田孝也さんですが、役者を目指すようになったきっかけは、2年生の時アルバイトでした。
2年生の夏に奄美大島で住み込みのアルバイトをしていると、そこに偶然、山田洋次監督一行が、バカンスで滞在したそうです。
スタッフたちと話しをする中で、
『演劇の世界で表舞台に立ってみたい』
と気持ちが燃え上がったそうです。
それまで演劇とはまったく接点はありせんでしたが、友人に学内の劇団やサークルを紹介してもらって舞台を経験させてもらったり同級生とユニットを組んで芝居をしたりと演劇活動を始めました。
父親には反対されると思っていましたが、すんなりと許してくれたといいます。
迫田孝也 デビュー後
大学卒業後に上京し、住む場所とアルバイトは見つけましたが、肝心の俳優のなり方はわからなかったそうです。
1ヶ月アルバイトし、オーディション雑誌で見つけた劇団『STRAYDOG』に応募し、研修生として入団。
8年間所属しました。
2002年に舞台デビューし、2004年に映画『恋愛白書』、同年10月のTBS系ドラマ『こちら本池上署4』に出演しましたが、名前のない役で目立った実績はなく、来る仕事はテレビの再現ドラマくらいで、撮影は1日がかりで、ギャラはせいぜい1万円だったといいます。
2008年のに三谷幸喜監督映画『ザ・マジックアワー』のオーディションの合格し、1日だけの撮影でしたが、一言、主演の佐藤浩市さんや唐沢寿明さんと絡む台詞をもらったそうです。
しかし、その後もオーデションに落ち続け、心が折れそうになった時、すがる思いで三谷幸喜さんに電話すると、2014年の三谷幸喜さん脚本、演出の舞台『酒と涙とジキルとハイド』の出演に繋がりました。
さらに、制作がホリプロだったことから、舞台出演後に所属させてもらえることになったそうです。
『僕の役者人生が動きだしたんです』
37歳の頃で、いくつも掛け持ちしていたアルバイトも、やっと辞めることができたそうです。
以降は、三谷作品に起用されるようになり、2016年の三谷幸喜さん脚本の『真田丸』に矢沢三十郎頼幸 役で出演し大河ドラマ初出演。
大河ドラマには2018年の『西郷どん』にも 江藤新平 役で出演し、薩隅方言の指導役も担当しました。
2019年2月のKTS鹿児島テレビ開局50周年特別番組『前田正名ー龍馬が託した男ー』では主演の前田正名 役を演じました。
迫田孝也の結婚歴や妻は?
迫田孝也さんが結婚したのは2011年8月、34歳の時でした。
妻はモデルの浅田久美子さん。
年齢は1歳年下。
モデル時代は浅田みくりの名前で活動していたようです。
友人の開催した飲み会で出会い、その後、舞台での共演がきっかけで交際に発展したとの情報がありました。
迫田孝也に子供はいる?
迫田孝也さんに子供がいるとの情報はありませんでした。
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