社会人野球クラブチームの茨城ゴールデンゴールズの監督を務めた片岡安祐美さんの経歴や学歴は?
茨城ゴールデンコールズに入団したきっかは?
結婚した夫との馴れ初めや子供は?
今回は野球選手でタレントの片岡安祐美さんをリサーチしてみました。
片岡安祐美の学歴・生い立ち・経歴
名前 片岡安祐美
生年月日 1986年11月14日
出身 熊本県熊本市
身長 153cm
血液型 B型
所属 佐藤企画
父親、母親、2歳年下の妹の4人家族。
小学校は熊本市立画図小学校、中学校は熊本市立出水南中学校を卒業。
小学3年生の時にに夏の甲子園をテレビ見たことがきっかけで、野球を始めました。
元高校球児の父親は野球の厳しさを知っていたため、当初は野球をやることに大反対、母親も「女の子なのに」と口も利いてくれなくなるほど反対したといいます。
小学4年生からは学校の部活の軟式野球部に入部、1年目はベンチでスコアなどをつけるなどマネージャーのようなことをしていましたが、練習試合で代打で出場すると、初打席でライト前ヒットを放ち、その後、サードのレギュラーに定着。
打順は基本は1番でしたが、4番を任されホームランを打ったこともあったといいます。
県大会には1番サードで出場し、ベスト8に進出。
中学校では軟式野球部に入部、女子の入部は初めてでした。
男子との体力差は開きましたが、コーチのアドバイスで、ホームランだけを狙わず、頭を使う選手になり1年生からベンチに入り、3年生の時にはセカンドのレギュラーになり、中学でも県大会でベスト8に進出しました。
憧れの甲子園に出場したくて野球をやっていましたが、中学3年生のと時に父親から高校野球で女子は公式試合に出場できないことを聞き、ショックを受けたといいます。
その後は女子硬式野球部のある高校や、ソフトボール部なども見学しましたが、最終的には高校で男子野球部に入ることを決断。
中学3年生の時に女子野球日本代表のテストがあることを知り、女子野球をやっている人たちに会ってみたいとの思いからテストを受け合格。
当時の最年少で日本代表に選ばれました。
高校は熊本商業高校に進学。
熊本県熊本市中央区神水一丁目にある男女共学の県立高校で、偏差値は57。
野球部の監督に父親が掛け合ってくれて最初は保留されましたが、最終的には入部することができ、練習メニューは男子と同じメニューをこなしました。
高校野球の規定で公式試合に出場が出来ないため、背番号を貰うことはできませんでしたが、同じ練習に必死についていったことで、チームメイトに仲間として認めてもらえるようになったといいます。
高校1年生の2002年から4年連続で女子野球日本代表に選出され、2003年、高校2年生の時には第3回女子野球世界選手権に出場し初優勝、翌年の第4回大会でも優勝し2連覇を達成しました。
高校卒業後は、 流通経済大学・経済学部に進学。
大学では高校簿記の教員免許を取得しました。
片岡安祐美が茨城ゴールデンコールズに入団したきっかは?
大学でも野球部に入部しようと思っていましたが、大学でも女子は公式試合に出られないことを入試の1週間前に知り、練習試合やオープン戦で頑張れたらと思っていましたが、そんな時に『茨城ゴールデンゴールズ』が設立されることを知ったそうです。
最初は萩本欽一さんのこともあまり知らず、
『真剣にやる野球ではない』
と思っていましたが、詳しく調べてみると練習環境も整っていて、コーチのは元プロ野球選手もいること知り、入団を決意。
2005年1月、18歳の時に入団しました。
片岡安祐美 監督に就任
ゴールデンゴールズの選手として活動しながら、2005年にはオーストラリア・ゴールドコーストで開催された女子野球世界大会の日本代表に選出され、2008年第3回ワールドカップ女子野球の日本代表にも選出。
明るいキャラクターでタレントしても活躍しました。
2010年12月に監督を勇退した萩本欽一さんの後任として選手兼任監督に就任。
『無理ですって言ったら、チームがなくなると思ったもん。なくすことはできないと思った。みんな野球好きで、地方から茨城に集まって野球やってるのに。チームなくなるって分かったら、そんなことはできないと思った』
監督に指名された時は驚き、監督を引き受けたのは、自分が断ればチームがなくなってしまうかもしれないとの思いからだったといいます。
個人としては2012年3月、女子野球日本代表のトライアウトに参加し、日本代表候補に選出。
2012年4月からは関東の女子野球リーグのヴィーナスリーグに加盟するクラブチーム『サムライ』に茨城ゴールデンゴールズと掛け持ちで参加。
監督としては2014年、第39回全日本クラブ野球選手権で、茨城ゴールデンゴールズが6年ぶり3回目の優勝を果たし、監督として初めてチームを優勝に導きました。
片岡安祐美の結婚した夫との馴れ初めや子供
片岡安祐美さんが結婚したのは2017年8月、30歳の時でした。
夫は元プロ野球選手で5歳年下の小林公太さん。
小林さんは2009年10月のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズの育成枠2巡目の指名を受け、支度金200万円、年俸240万円(金額は推定)で入団。
2012年に戦力外通告を受け退団しクリーブランド・インディアンスとマイナー契約などを経て2013年に引退。
引退後は英語の勉強のためにオーストラリアに渡り、そこで和食レストランで1年半勤務。
料理長に『君は料理の才能があるね』と言われたことがきっかけで子供の頃から大好きで食べ歩きもしていたラーメン屋になることを決意。
大好きなラーメン屋だった王子神谷の『富士丸』で修業経験のある人が経営しているアメリカ・ボストンの『Yume Wo Katare Boston』でラーメン作りの修行を積み、2016年11月に文京区で暖簾分けの形でラーメン店『Yume Wo Katare Tokyo』を開業。
2023年現在は本店以外にも、つくば店・柏店・東京競馬場店・上野店[9]の計5店舗を経営しています。
2人の馴れ初めは、片岡さんが友人と食事をしていた時、別のテーブルに小林さんがいたことで、ゴールデンゴールズの監督だった萩本欽一さんの最後の公式試合の対戦相手のチームに小林さんがいたことで話しが盛り上がり、間もなく交際に発展。
片岡さんは2017年1月にブログで交際を発表し、8月に『24時間テレビ 40 告白~勇気を出して伝えよう~』(日本テレビ)の番組内で小林さんに公開プロポーズを受けて結婚しました。
子供は2022年6月に息子が誕生しました。
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