楳図かずおは結婚してる?妻や子供などの家族は?

楳図かずおは結婚してる?妻や子供などの家族は? 漫画家

「まことちゃん」、「漂流教室」などの作品で知られる漫画家の楳図かずおさん。
東京都武蔵野市の吉祥寺駅付近に、赤白のボーダー柄デザインの住居兼オフィスを建てて話題になりましたが、結婚歴や妻、子供などの家族は?
この記事では楳図かずおさんの妻、子供などの家族などについてリサーチしています。

楳図かずおの生い立ち・家族・学歴

楳図かずおのプロフィール

名前   楳図かずお
生年月日 1936年9月3日
没年月日 2024年10月28日(88歳没)
出身   和歌山県
血液型  O型

和歌山県伊都郡高野町生まれ、奈良県育ち。
7歳年下の弟がいる長男。

父親は小学校の教師で、幼少期は奈良県の山間部を転々とし、3歳から6歳までは奈良県宇陀郡曽爾村で暮らし、父親から地元の伝説や民話を聞かれて育ちました。

6歳以降は奈良県五條市に移り、五條小学校、五條中学校を卒業。

1955年に五條高校(偏差値41~43)を卒業。

勉強は好きではありませんでしたが、親に言われ奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を受験しましたが不合格。

同年に漫画家デビューしました。

楳図かずおが漫画家になったきっかけ

楳図かずおさんは漫画家になろうと思ったのは小学4年生の頃に手塚治虫さんの『新宝島』を読んだことがきっかけでした。

それまでは海賊になりたいと思っていたといいます。

手塚さんの作品を模倣して漫画を書き始め、中学に入った頃にはプロの漫画家になることを意識。

中学時代には同年代の漫画サークルに入り、『漫画少年』にたびたび投稿。

高校時代はコーラス部に所属し音楽にも熱中しましたが、授業中には漫画を描き、高校卒業後に単行本『森の兄妹』でプロ漫画家デビューしました。

まことちゃんが社会現象

プロデビュー後はSF作品なども描き、貸本漫画を多く発表。
人気漫画家となりました。

1961年、貸本短編誌『虹』で発表した『口が耳までさける時』をきっかけに「恐怖マンガ」という言葉を作りました。

ずっと地元の五條市で生活していましたが、1963年8月、先輩の漫画家の誘われて上京。
上京は俳優を志して劇団ひまわりの青年部に入っていましたが後に退団。

1996年、講談社の少女漫画誌『週刊少女フレンド』で連載した『ねこ目の少女』『へび女』などがヒット。

1975年、少年サンデーで連載した『漂流教室』などで第20回小学館漫画賞受賞。

1976年から少年サンデーで連載で連載したギャグ漫画『まことちゃん』の決めポーズ「グワシ」は社会現象になりました。

一番忙しかった時には週刊誌3本と月刊誌3本に連載を持ち、2日に1回は締め切りがありましたが、原稿を落としたことは一度もなかったといいます。

1995年以降は長年の執筆による腱鞘炎が悪化などを理由に漫画は休筆。

タレントとして活動しながら2014年には自身が監督・脚本・原案を務めた自伝的映画『マザー』を制作。

2022年1月には楳図かずお大美術展を開催。

2023年、第27回手塚治虫文化賞特別賞を受賞しました。

2024年7月に自宅で倒れて病院に搬送され、末期の胃がんであることが判明。

手術は行わず、9月からは都内のホスピスで終末期医療を受けていたが、10月28日に88歳で死去しました。

楳図かずおの妻、子供は?

楳図かずおさんに結婚歴はなく生涯独身でした。

60代後半の時にテレビ番組で「生まれてこの方一度も女性とお付き合いしたことがない」と明かしていたといいます。

結婚しなかった理由については語ったことはないようです。

2007年には吉祥寺の自宅兼オフィスを改築しようとしたところ、赤と白のストライプの外壁が「景観を破壊する」と一部の近隣の住民が外壁の撤去を求めて訴訟を起こされましたが、2009年1月に住民の請求を棄却する判決が出されました。

長野県の八ヶ岳にも同じ外壁の別荘を持っていました。

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