西原理恵子と元夫の離婚理由は?子供は息子と娘で毒親と告発?

西原理恵子と元夫の離婚理由は?子供は息子と娘で毒親と告発? 漫画家

「毎日かあさん」などで知られる漫画家の西原理恵子さん。
元夫はカメラマンの鴨志田穰さん。
離婚の理由は?
子供は息子と娘がいて、娘が「毒親」と告発していますがその理由は?
この記事ではリサーチしています。

西原理恵子の学歴・経歴

西原理恵子のプロフィール

名前   西原理恵子
生年月日 1964年11月1日
出身   高知県
職業   漫画家

高知県高知市の漁師町出身。

実父はアルコール依存症で、西原を妊娠中に離婚。

母親と兄を連れて実家に戻り西原さんは出産。

5歳の時に母親は再婚。

継父は無類のギャンブル好きで、職も転々としていましたが、西原さんのことはすごく可愛がってくれたそうです。

子供の頃は不安定な生活ですが後に、タクシー会社を起業し成功しています。

私立の土佐女子中学校(偏差値60)を卒業後、、系列の土佐女子高校に内部進学。

高校入学後、喫煙で1週間の停学処分を受け、高校3年生の時にはスナックでの集団飲酒で才原さんを含む3人が退学処分を受けました。

「無期停学」ぐらいと思っていた西原さんは学校に処分の不服を訴えました。

継父はタクシー会社で成功していた時期で、西原さんを信じ、「どうしても納得がいかないなら、裁判して闘ってみろ。」と弁護士の紹介と資金の提供をしてくれたといいます。

裁判は2年続き、最終的には「和解」となり、学校側は退学した3人に謝罪と慰謝料を払ったそうです。

3人は退学となった翌年の「大学入学資格検定試験」を受け合格。

上京し美大合格を目指していましたが、19歳の時、応援してくれた父親は事業に失敗し、首を吊って亡くなりました。

1年の予備校生活を経て、武蔵野美術大学・造形学部視覚伝達デザイン学科に進学しました。

大学在学中に漫画家デビュー

大学入学後、他の生徒の才能に驚愕し、予備校時代に描き始めた「アダルト本のカット」の持ち込み営業を開始。

業界では珍しい女子大生であったためか重用され、皿洗い、ミニスカパブでのホステスなどのアルバイトもしていて、大学3年生の時には月収30万円を超えていました。

成人雑誌のカットが小学館の編集者の目に留まり1988年、大学3年生の時に『ちくろ幼稚園』(ヤングサンデー)で漫画家デビュー。

4年生の時には複数の連載を持ち、1989年3月に大学を卒業。

大学卒業後、1989年から『まあじゃんほうろうき』(近代麻雀ゴールド)を連載。

結婚後、2002年から西原夫婦と2人の子供の日常を描いた『毎日かあさん』を連載開始。

これをきっかけに女性ファンが急増し、単行本発行部数は230万部を超え、2009年にはテレビアニメが放送され、2011年には実写映画が公開されました。 >

元夫の鴨志田穰との離婚理由は?

西原理恵子さんと鴨志田穰さんは勝谷誠彦さんの紹介で、1996年に出会いました。

同年9月に西原さんと勝谷さんの旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材企画にCSテレビのビデオカメラマンとして同行。

過酷なジャングルロケを経験し、帰りの飛行機で鴨志田さんにプロポーズされ結婚。

1男1女に恵まれましたが、鴨志田さんアルコール依存症による暴言、暴力、器物損壊などで精神病棟への入退院を繰り返し、2003年に離婚しました。

2006年にはアルコール依存症から回復し始めましたが、同年にがんであるこを明かしました。

同年に西原さんは鴨志田さんから復縁を求められ、拒んでいましたが、友人の高須克弥さんの仲介で、鴨志田さんとの同居を再開。

2007年3月20日に鴨志田さんは腎がんのため42歳で死去。

西原さんは最期を看取り、葬儀では元妻として 喪主を務めました。

子供は息子と娘で毒親を告発?

西原理恵子さんの子供は息子と娘の2人。

名前は息子が雁治さん、娘はひよさん。

年齢は不明ですが雁治さんは、16歳から1年間アメリカ・カリフォルニアに留学し、2017年に大学い入学しているようです。

娘のひよさんは2000年6月生まれで、舞台女優をしてして、2021年から父親の姓である鴨志田ひよと名乗っているようです。

2024年2月にニュースサイト「Smart FLASH」が鴨志田ひよに対して西原さんが暴言、虐待している「毒親」であることを作家・生島マリカさんが証言したとする記事を掲載。

この記事はひよさんの証言ではなく、ひよさんは取材を受けては受けておらず記事を否定

西原さんも「この記事は事実を歪曲したものです」と記事を否定しました。

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