元NHKアナウンサーの草野仁さん。
学歴や経歴は?
結婚しているようですが嫁はどんな人なんでしょうか?
子供は息子で何人?
筋肉を鍛えているのはいるから?
今回はフリーアナウンサーの草野仁さんについてリサーチしてみました。
目次
草野仁の学歴・経歴
名前 草野仁
生年月日 1944年2月24日
出身 長崎県島原市
身長 170cm
所属 草野仁事務所
小学校・島原市立第一小学校
中学校・島原市立島原第一中学校
高校・島原高校→長崎西高校
大学・東京大学 文学部社会学科
父親、母親、兄2人、姉1人の6人家族。
4人兄弟の末っ子で、兄は12歳年上と10歳年上、姉は8歳年上。
父親は数学者で長崎大学名誉教授の草野萬三郎。
母親は中学の音楽教師。
草野人さんは満州国新京、現在の中国吉林省長春生まれ。
2歳のときに満州から引き上げ、祖母の家があった長崎県島原市で育ちました。
父親は戦後、シベリア抑留を3年半経験し、草野仁さんが5歳のときに帰国。
草野仁さんが父親を初めて意識したのはこのときだといいます。
草野仁さんは小学生のときは足は速く、相撲も強いガキ大将。
勉強は大嫌いでしたがそこそこはできたそうです。
父親は怖い人で草野仁さんが父親が作った算数の問題を解かずに遊んでいると、げんこつが降ってきたといいます。
中学入学後は担任教師がアマチュアカメラマン影響で写真部に入部。
撮影から現像まで本格的に教えてもらったそうです。
中学2年生のときには走ることが好きだった、草野仁さんは陸上部をつくって、自ら部長になりました。
3年生のときには1長崎県大会で100メートル走優勝、走り幅跳びは3位の成績を収めました。
運動能力は父親ゆずりで、父親は高校時代に砲丸投げで全国優勝、剣道は7段でした。
高校は島原高校に入学し、長崎西高校に転校し卒業しました。
島原高校には1年半通ったそうです。
島原高校の偏差値は63。
長崎西高校72で長崎県内トップクラスの進学校です。
高校でも陸上部に入部。
島原高校時代には100メートル走で11秒2を記録したそうです。
しかし、2年生のときに父親が親が勝手に退部届を出してしまい退部。
父親は、
『お前は精神が脆弱だから、スポーツでは大成できない』
と言ったそうです。
草野仁さんは納得はいかなかったけど、父親を憎んでグレるようなことはなかったと話しています。
草野仁は東大を首席で卒業
兄2人が東大生だったことから、草野仁さんも東大を受験しますが不合格。
1年浪人を経て、東京大学文Ⅲに合格しました。
草野仁さんが東大に合格し上京したころは、日米安保条約改定に絡む闘争の影響で、政治的雰囲気が色濃く、学生運動が盛んでした。
隣に座っていた学生たちが勢力争いをする派閥から、いきなり殴り合いの乱闘になったこともあったといいます。
草野仁さんは授業はとにかく全て出席するよう努めたといいます。
在学中には相撲の国体・長崎県予選に出場し優勝しましたが、大学の卒業論文を仕上げなければならないことを理由に、国体出場を辞退。
東京大学は首席で卒業しました。
草野仁は記者志望でNHK入社
アナウンサーの草野仁さんですが、もともとは記者志望でNHKの入社試験を受けたといいます。
記者が第1志望で、アナウンサーは第4志望でした。
採用通知に『アナウンサーとして採用』と書いてあって驚いたそう。
NHKに電話をかけて確認したら、
『間違いない。アナウンサーとして採用した。もし嫌だったらやめてもらうよ』
と言われたそうです。
同期は16人で、純粋なアナウンサー志望はわずか1人だけだったそう。
草野仁さんは長崎県出身で標準語できちんと喋れるのか不安でしたが、適性があると見込んだ方が採用してくれたのだろうと前向きにとらえて頑張ることにしたといいます。
最初の配属先はNHK鹿児島放送局でした。
スポーツが好きだった草野仁さんは、
『スポーツ放送だけは、アナウンサーが取材して表現するから、自分で好きなことができる』
と考え、スポーツアナウンサーとして東京へ帰ることを目指そう決意。
33歳のときに、念願の東京アナウンス室に異動になり、40歳でNHKロサンゼルスオリンピック特番の総合司会を務めました。
草野仁がフリーアナウンサーに転身した理由
草野仁さんは1985年、41歳でNHKを退職。
退職し理由は、どの局でも報道局が力を持っており、報道番組を作るにあたって、アナウンサーはあくまでサブの存在なんだそう。
草野仁さんは報道局に対していろいろな提案をしていましたが、ある日、アナウンス部のトップの人が、
『報道局長といろいろ話をしましたが、今後我々は報道局の指示通りにすべてやっていくことにしました』
と言ったそうです。
これを聞いた草野仁さんは『もうこんなところにいてもしょうがない』と辞めることを決めたそうです。
フリーになってすぐ、TBS系の朝の情報番組『朝のホットライン』の司会に抜擢。
1986年からはTBS系の『世界・ふしぎ発見!』の総合司会を務め、番組は30年以上の長寿番組になっています。
1993年から2007年まで日本テレビ系のワイドショー番組『ザ・ワイド』の司会を務めていました。
草野仁の嫁は?
草野仁さんが結婚したの1968年。
NHK入局2年目の24歳のときでした。
嫁は2歳年上の恵美子さん。
出会いは大学時代で、告白は恵美子さんからだといいます。
プロポーズも嫁の恵美子さんからで、
『私と結婚してくれなきゃ死ぬ』
と言われたと話しています。
草野仁さんは若い頃は亭主関白。
男は仕事さえきちんとしていれば、文句はないと思っていたそうです。
たまのオフに家族サービスをしてほしいと言われても、自分の都合を優先させて、ほとんど家庭をかえりみることはなかったといいます。
それでも嫁の恵美子さんは文句を言ったことはなかったそうです。
フリーになった後、朝早い番組を担当していたとき、恵美子さんは草野仁さんより早く起きて、朝食を用意し、冬は部屋を暖めてあるなど、その心づかいに気づいたとき、
『結婚生活は夫婦2人の力で成り立っているのだ』
気づき、それからは『ありがとう』『食事おいしかったよ』と感謝に気持ちを伝えることを心がけるようにしているといいます。
草野仁の子供は息子?
草野仁さんの子供は2人。
2人とも息子です。
1969年に長男の裕さん
1970年に次男の健さん
が誕生しました。
長男は裕さんは大学卒業後、草野仁さんの事務所にマネージャーとして勤務し、2006年に 女子バレーボール・バルセロナ五輪銅メダリストでスポーツキャスターのヨーコ・ゼッターランドさんと結婚しましたが、2010年に離婚したようです。
次男の健さんも同じく、草野仁さんの事務所に勤務しているようです。
草野仁は病気で痩せた?
草野仁と検索すると『病気 痩せた』の検索ワードが出てきます。
調べてましたが、草野仁さんが病気で入院したなどの報道はありませんでした。
『痩せた』については、ツイッターなどのSNSうぃ調べてみると、2010年代後半頃から一部の方たちから『痩せた』の声が出てきています。
草野仁さん痩せたな? pic.twitter.com/8qFS5Oz9Eh
— Emission (@Emissio1971) August 1, 2018
実際みてみると、筋トレをしていると話題になった頃に比べると少し小さくなった感じは受けますが、それほど大きく痩せた印象はないようです。
以前よりは筋肉トレーニングは減っているようで、年齢による変化のレベルと思われます。
草野仁の筋肉はいつから?
草野仁さんが筋トレを始めたのは意外と遅く、50歳頃だといいます。
ある日、わき腹や背中のつまんだら、脂肪が厚くなっていることに気づいたとがきっかけで
『背中についたぜい肉を取るため』
に筋トレを始めたそうです。
筋トレを始めると『より強く』『より速く走り』『より高く飛ぶ』という目的に変わっていったそうです。
その後、70歳を過ぎると筋肉を鍛える目的は、QOL(生活の質)の維持・向上にあると考えるようになったといいます。
2015年のインタビューでは毎日できなくても、
『1週間トータルで4、5日はできたかな』
ぐらいが動を習慣化させるコツだと思うと話しています。
現在でもダンベルでトレーニングを少しずつ続け、エアロバイクも300キロカロリー消費するぐらいやっているといいます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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