大阪府出身のジャズシンガー・綾戸智恵さん。
経歴や高校などの学歴は?
結婚歴があるようですが、元旦那との離婚理由・原因は?
子供は息子で難病?
今回はジャズシンガーの綾戸智恵さんについてリサーチしてみました。
綾戸智恵の学歴・経歴
名前 綾戸智恵
生年月日 1957年9月10日
出身 大阪府大阪市
身長 147cm
所属 有限会社 まいど
小学校・常盤小学校
中学校・文の里中学校
高校・明浄学院高校
大学・進学していません
父親は旅回りの舞台役者。
母親は食糧庁やGHQに勤務。
綾戸智恵さんは養父を父親とだと思って育ちました。
母親が認知症になり介護を続けていたある日、母親に、
『あなたが父親と思ってきた人とは別に、実は本当の父がいる』
と告げられたといいます。
後に父親は旅回りの舞台役者で、綾戸智恵さんが2歳のときに50歳の若さで他界したことが明らかになりました。
3歳からクラシックピアノ始めました。
両親がジャズファンで、自宅のステレオからいつもジャズが流れていたそうです。
その影響で、小学生の頃からジャズに興味を持ちました。
中学時代に養父が他界。
高校は明浄学院高校に進学。
明浄学院高校は大阪府大阪市にある市立の女子校。
現座の偏差値は48。
吹奏楽部が全国大会に出場するなど、強い学校のようです。
高校卒業後はアルバイト代を貯めて渡米しました。
綾戸智恵 アメリカで活動
綾戸智恵さんが両親の影響で、ジャズやゴスペルを聴いて育ちました。
小学生からジャズに興味を持ち、教会でゴスペルを歌い、始めてステージで歌ったのは小学5年生のとき。
中学生になるとナイト・クラブでピアノを弾くようになったといいます。
高校生のときはジャズクラブで伴奏のアルバイトをしていました。
最初の渡米は高校生の17歳のとき。
ロサンゼルスに行きました。
夏休みは航空券が高かったため、7万円も安かった6月に、学校の先生にも正直に言って学校を休んで渡米しました。
当時の渡米は当初、ジャズ目的では無かったといいます。
『渡米はジャズ(目的)や言うてくれはるけど、ただの横文字好き』
『映画好きでしてん。フランク・シナトラやら、ジュディ・ガーランド好きやったから見たいなぁ思うて行ったんです。近いところに』
アメリカに行ってみると、CMもニュースのイントロも全部ジャズだったそうです。
その後、ニューヨークへ行き運命が変わりました。
ゴスペルの友達ができたことで、次第にそちらの方向へ気持ちが切り替わっていったといいます。
高校卒業後はアルバイトをしては渡米し、ジャズクラブに通いました。
ロスアンゼルスのライブハウスやプロテスタント教会でゴスペルを歌ったり、ピアノ演奏や歌唱などをして、飛び入りで、マッコイ・タイナーなど有名プレイヤーとのセッションも経験したといいます。
日本の大阪のライブハウスでも演奏したそうですが、当時の日本のジャズ界にはなじめなかったそうです。
楽屋での礼儀ぎはともかく、ステージでは平等のはずなのに、ステージで先輩より目立った演奏をすると怒られるのが不思議で、ジャズの世界は自由なはずなのに、会社よりもキツイなと思ったといいます。
日本よりも、アメリカのほうが合うと20代後半からはらはニューヨークに生活の拠点を移し活動しました。
綾戸智恵 日本で本格デビュー
綾戸智恵さんが日本に帰国したのは1991年の34歳のときでした。
帰国後は、英語や歌を教えたり、給食のおばさんをしながら、ジャズヴォーカリストとしても本格的に活動を開始。
横浜ジャズプロムナード、モントレージャズin能登など国内各地でのジャズコンサートに多数出演。
1998年6月、アルバム『For All We Know』をリリースし歌手デビュー。
綾戸智恵さんが40歳のときでした。
2003年5月にリリースした9枚目のアルバム『to you』は自身初のベスト10入りの7位を記録。
同年末の、
第54回NHK紅白歌合戦
に出場しました。
紅白で歌った『テネシー・ワルツ』が大きな話題となりました。
ライブではパワフルな歌声と軽妙なトークは多くの人を魅了しています。
綾戸智恵と元夫の離婚理由・原因は?
綾戸智恵さんが結婚したの1989年。
32歳の頃で、アメリカで活動していたときの結婚でした。
元夫はアフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャン。
離婚したのは11年半後の1991年。
離婚理由・原因は元夫のDVでした。
離婚後すぐに帰国しています。
綾戸智恵の子供は息子で難病?
綾戸智恵さんの子供は息子が1人。
名前はイサさん。
1990年に生まれました。
イサさんはアフリカ系アメリカ人とのハーフです。
生まれた翌年の1991年に離婚し、息子を連れて帰国しています。
イサさんは日本で育ちましたが、小学生のときにいじめを受けるようになり、不登校になったといいます。
勉強は家で綾戸智恵さんが教えていいましたが、小学5年生のとき登山家の野口健さんが主催する屋久島での合宿に参加。
すると、息子のイサさんから、
『屋久島の学校で友達と勉強したい』
と言われ、綾戸智恵さんは屋久島の役場をに頼み込み、イサさんを屋久島の小学校に転校させることに成功したそうです。
息子のイサさんがが病気をしたのは2014年。
病名は好酸球性副鼻腔炎で難病指定されている病気です。
好酸球性副鼻腔炎は原因は不明の病気で、鼻の中にポリープが多発することが特徴で、手術をしてもすぐに再発するといいます。
症状は、ポリープ、頑固な鼻づまり、嗅覚の低下、鼻づまり嗅覚の低下による味覚障害など。
イサさんは病気を発症した当時、車の整備工を目指して勉強をしていましたが、臭覚がないとガソリン漏れに気が付けないなど危険が伴うので考え直すよう先生に涙ながらに言われ、諦めたそうです。
その後、次の夢を探すために世界中の同じ症状の方々にメールし、目で色を見て耳で音を聞いてコーヒーの焙煎しいる人のを知り、イサさんも現在はコーヒー焙煎の仕事をしています。
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