鹿児島県出身のタレント・はしのえみさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回はタレントのはしのえみさんをリサーチしてみました。
はしのえみの学歴・生い立ち・経歴
名前 はしのえみ
生年月日 1973年10月23日
出身 鹿児島県鹿児島市
身長 155cm
血液型 A型
所属 佐藤企画
小学校・鹿児島市立桜丘東小学校
中学校・鹿児島市立桜丘中学校
高校・・松陽高校 新宿山吹高校
大学・・大学には進学していません
父親は真面目な会社員でしたが、はしのえみさんが中学時代に、輸入衣料品店を開店。
母親は真面目な父親とは対象的に、楽天的な性格だといいます。
兄弟は2歳年上の兄。
小学校は鹿児島市立桜丘東小学校、中学校は鹿児島市立桜丘中学校を卒業。
髪の毛がクセっ毛で日焼けをしていたので、小学生時代のあだ名は『カール・ルイ子』。
中学時代はテニス部に所属。
高校は松陽高校に進学。
松陽高校は、鹿児島県鹿児島市福山町にある男女共学の県立高校で、現在の偏差値は55。
卒業生には俳優の沢村一樹さんがいます。
高校2年生に上がるタイミングで芸能界を目指して上京し、新宿山吹高校に転校。
新宿山吹高校は、東京都新宿区山吹町にある男女共学の、昼夜間定時制、単位制、無学年制の高校の都立高校。
高校は20歳の時に卒業し、高校卒業後は大学などには進学していません。
はしのえみがデビューしたきっかけは?
はしのえみさんは小さい頃からアイドルに憧れ、中学時代の14歳の時にオーデションを受けて合格しましたが、父親は芸能界入りに反対で『高校は出ておきなさい』、と言われ高校に進学。
父親は自分が40代で脱サラして自分の店を持ち、好きなことに挑戦できたこともあり、後に『娘の夢も応援しよう』と考えるようになり、事務所の受け入れが整った高校2年生の時に上京す、単位制の高校に転校しました。
はしのえみ 欽ちゃん劇団出身
上京後はテレビ番組、ドラマ、CMなどのオーデションを受けましたが、不合格の毎日でした。
勝俣州和さんメンバーだったアイドルグループ『HA-CHA』の妹ユニット『CHU-CHU』のオーディションを受け3人のメンバーに選出されたことがきっかけで、『欽ちゃん劇団』の1期生として入団。
同劇団に入団し、欽ちゃんに芸能界をゼロから教えてもらったと話しています。
劇団在学中の1992年に、劇団のメンバー4人でアイドルグループ『ブカブカ』を結成し、1993年11月1日に『悲しみのゴジラ』でデビュー。
19歳の時でした。
1996年に解散し、同年7月、22歳の時にTBS系『王様のブランチ』のブランチリポーターに就任。
1998年には番組内ユニット『BRAN-KO』を結成しCDデビューも果たしました。
番組では、『姫様』などさまざまなキャラクターに扮してリポートをおこない、2014年3月まで出演し、人気を獲得しました。
はしのえみの結婚歴や夫は?
はしのえみさんが結婚したのは2009年1月、35歳の時でした。
夫は俳優の綱島郷太郎さん。
1973年5月16日生まれで、年齢は同い年。
東京都出身で、東京都立狛江高校を卒業後、1997年4月1日に劇団青年座に入団。
舞台中心にドラマにも出演し、2023年にはNHKの朝ドラ『らんまん』に堀田鉄寛 役で出演しています。
馴れ初めはテレビドラマでの共演で、2006年10月から放送された中部日本放送(CBC)制作のはしのえみさん初主演ドラマ『みこん六姉妹』で出会い、夫の綱島郷太郎さんは元婚約者の役でした。
顔合わせのとき、はしのえみさんは『優しそうな人で良かった!』、綱島郷太郎さん『コケティッシュでかわいい感じかと思ってたら、意外とおとなしくてきれいな人だなあ』とお互いに好印象で、ドラマ撮影中に自然な形で交際に発展。
1年半後にドラマのパート2が放送され、撮影中にプロポーズを受け結婚しました。
はしのえみの子供は何人?
はしのえみさんの子供は娘が1人。
2015年10月に誕生しています。
結婚から6年目の、はしのえみさんが41歳の時の出産で、『もう授からないのかな…』と思った時期に妊娠が分かったそうです。
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