長嶋一茂の結婚や妻は?子供は双子で何人?高校、大学などの学歴や生い立ち・経歴

長嶋一茂さんは東京出身の元プロ野球選でタレント。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

プロ野球選手時代の実績や年俸は?

結婚しているようですが妻は?

子供は双子で何人?

今回は元プロ野球選手の長嶋一茂さんについてリサーチしてみました。

長嶋一茂の学歴・生い立ち・経歴

名前   長嶋一茂
生年月日 1966年1月26日
出身   東京都
身長   181cm
所属   ナガシマ企画

 

長嶋一茂の学歴

小学校・大田区立田園調布小学校

中学校・大田区立田園調布中学校

高校・立教高校(現:立教新座高等学校)

大学・立教大学

東京都大田区出身。

父親は元プロ野球選手、監督長嶋茂雄さん。

妹が2人と弟が1人の4人兄弟長男。

弟は弟は元レーシングドライバーの長島正興さん。

次女はスポーツキャスターの長島三奈さん。

幼少期は世田谷区上北沢の敷地面積340坪の豪邸に住んでいて、庭にはブランコがあり竹やぶでタケノコも取っていたといいます。

その後、田園調布に引っ越し200坪くらいになりその時、長嶋一茂さんは母親に、

『ちっちゃくなったね』

と言ったといいます。

住んでいた上北沢の家は、政治家の中曽根康弘さんの自宅になりその後、首相になったそうです

小学校は大田区立田園調布小学校を卒業。

小学3年生の時にリトルリーグのチームに入り野球を始め、その年巨人監督に就任した親父の長嶋茂雄さんと同じ90番の背番号をつけさせられ、打順は3番でサードを守らされたそうです。

ピッチャーもしていましたが変化球を投げすぎて肘を負傷。

プロ野球選手になってから手術しました、現在も腕が真っ直ぐに伸びないといいます。

小学生時代のチームには『長嶋茂雄の息子』ということで騒がれテレビが取材に来たことで、数百人に子供が入団したことで、長嶋一茂さんは5年生の時にチームを辞め一度野球から離れました。

中学は両親の方針で、群馬県吾妻郡中之条町にある全寮制の白根開善学校中等部に入学。

2年生から大田区立田園調布中学校に転校し卒業しました。

高校は立教高校を卒業。

立教高校は現在の立教新座高等学校。

埼玉県新座市北野にある私立の男子校。

現在の偏差値は72。

高校では寮に入り、野球部に入部。

当初はブランクもありキャッチボールも上手くできませんでしたが、寮生たちが寝静まった後に激しい素振りを繰り返し、2年秋には4番でファートを守るまでに成長。

3年生の時に春季関東大会県予選準々決勝もで進み、夏の甲子園県予選も準決勝まで進出。

大学は立教大学をに進学し、野球部に入部。

1年生からレギュラーとなり、4年生の時には主将を務め4番打者として打率.340を記録。

サードとしてベストナインに輝き、大学日本代表にも選出されました。

長嶋一茂のプロ野球選手時代の実績や年俸

1987年にヤクルトと大洋(現在の)横浜DeNAベイスターズから1位指名を受けヤクルトに入団。

推定で約金8000万円、年俸840万円。

背番号3でした。

ヤクルトでの1位指名は当時監督だった関根潤三さんの意向が強かったといいます。

長嶋ジュニアとして騒がれ、テレビ朝日系『ニュースステーション』では『長嶋一茂物語』というコーナーが連日放送されるほどでした。

1988年の1年目の成績は88試合に出場し206打席で打率.203、本塁打4本。

この成績は大卒1年目としては特に悪くはない成績だといいます。

しかし、その後は成績は伸びず、

1989年 69試合 163打席 打率.250 本塁打4本

1990年 35試合 57打席 打率.167 本塁打1本

1991年 67試合 172打席 打率.221 本塁打4本

推定年俸は、

1989年 840万円

1990年 900万円

1991年 840万円

1992年1200万円

3年目の1990年には監督が野村克也監督になり提唱するID野球にまったく馴染めず、そりも合わず3時間ぐらいぶっ通しで説教されたこともあったといいます。

長嶋一茂さんいろんな人に助言され当時は『助言のフォアグラ状態』だったといい、助言の良しあしがどうでもよくなり、助言を受け付けなくなったと後に話しています。

1992年は、オープン戦の途中で球団にマイナーリーグ・1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学を直訴し承諾され渡米。

同年9月に帰国しましたが1軍での起用はなく、同年にヤクルトは優勝しましたが、長嶋一茂さんはプロ入り初の一軍出場機会無しで終わっています。

長嶋一茂の巨人時代

1993年に父親の長嶋茂雄さんが巨人監督に就任し長嶋一茂さんは金銭トレードで巨人に移籍。

長嶋茂雄監督は長嶋一茂さんの獲得について、

『一茂は実力を出し切っていない。巨人は右打者が足りていないので。』

と理由を説明。

キャンプから外野の練習を行い開幕戦では6番レフトでスタメン出場しますが、同年に肘と膝を痛め9月には手術しています。

巨人時代成績は

1993年 56試合 153打席 打率.216 本塁打1本

1994年 46試合 32打席 打率.172 本塁打1本

1996年 23試合 60打席 打率.143 本塁打3本

推定年俸は、

1993年 1200万円

1994年 1680万円

1995年 1680万円

1996年 1440万円

1995年は右ひじの負傷によって一軍出場はゼロでした。

1996年には土井正三コーチに2時間バントさせられたことに腹を立て、

『アイツ何様のつもりだよ!くだらねえ!あんなやついらねえよ!』

と暴言を吐き、球団から罰金50万円、二軍降格と出場停止処分を受けました。

長嶋一茂さんは当時のことを後に、

『やっぱり、長嶋茂雄の息子なんだという気持ちがあったと思います』

と明かしてします。

同年オフに長嶋茂雄監督から、

『残念だけどお前は来年の戦力構想に入っていない』

と戦力外通告を受け、同年に引退しました。

長嶋一茂 タレントに転身してブレイク

1996年にプロ野球引退後、個人事務所『ナガシマ企画』を設立しタレントに転身。

1997年~1999年まではフジテレビ系『プロ野球ニュース』の週末のキャスターを担当。

2000年~2002年は日本テレビ系『独占!!スポーツ情報』のキャスターを担当しました。

俳優活動も行い1998年10月から放送されたTBS系ドラマ『なにさまっ!』東良介役で出演。

2002年3月公開の映画『ミスター・ルーキー』で映画初出演で初主演。

タレントとしてブレイクしたのは2018年。

同年に272本の番組に出演。

多くのレギュラー番組を持っているわけではありませんでしたが、前年の2017年109本から163本も増加しています。

同年10月からテレビ朝日系『ザワつく!金曜日』が放送開始されました。

当時52歳でした。

長嶋一茂の結婚や妻は?

長嶋一茂さんが結婚したのは1999年9月。

結婚時は33歳。

妻は当時マネージャーだった女性。

年齢は1歳か2歳年下のようです。

名前は仁子さん。

長嶋一茂さんと妻は1996年に宮本和知さんに連れて行ってもらった飲食店で妻が働いていたことがきっかけで会ったそうです。

交際がスタートしてマネージャーになったようです。

当時、ノストラダムスの大予言で1999年の8月に滅びてると言われていたので、8月を乗り切ったら結婚しようと思い、1999年9月に結婚したと話しています。

長嶋一茂の子供は双子で何人?

長嶋一茂さんの子供は双子の2人。

他には子供はいないようです。

2004年6月に誕生。

二卵性の双子のようです。

『僕は娘2人だから、何か残そうかな、と思って、今からちゃんと生前贈与してますから、ちゃんと贈与税払って』

2020年3月にテレビ朝日系か『ザワつく!金曜日SP』で当時15歳の娘2人に生前贈与を始めていると話しています。

贈与税は年間110万まで非課税で毎年毎年贈与をしているといいます。

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