富樫勇樹の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

新潟県出身のバスケットボール選手・富樫勇樹さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

バスケットボールを始めたきっかけは?

NBA挑戦に失敗?

結婚歴や妻、子供は?

今回はバスケットボール選手の富樫勇樹さんをリサーチしてみました。

富樫勇樹の学歴・生い立ち・経歴

名前   富樫勇樹
生年月日 1993年7月30日
出身   新潟県新発田市
身長   167cm
血液型  AB型

 

富樫勇樹の学歴

小学校・新発田市立東豊小学校

中学校・新発田市立本丸中学校

高校・・モントロス・クリスチャン高校

大学・・大学には進学していません

父親、母親、姉、妹の5人家族。

父親は2018年のインターハイ、2022年のウインターカップで優勝した新潟県の開志国際高校バスケットボール部の総監督・富樫英樹さん、母親も学生時代はバスケットボールをやっていました。

小学校は新発田市立東豊小学校を卒業。

バスケットボールは小学1年生の時に始めました。

中学校は新発田市立本丸中学校を卒業。

中学時代はバスケットボール部に所属し、当時、同中学校の監督だった父親のもと、3年生時は全国大会で優勝。

2年生と3年生の時には5歳以下に日本代表に選抜されました。

中学生の頃は実力だけでなく、寡黙なことで知られていたといい、父親の英樹さんも、

『学3年間、家でも学校でもひとつも口を聞いたことがない』

と言ったことがあったといいます。

シャイなことが理由のようで、小学生の時には人前でプレーするのが嫌すぎて、ユニフォームを持った母に追いかけ回されたこともあったそうです。

高校はモントロス・クリスチャン高校に留学。

メリーランド州ロックビルにあるバスケットボールの強豪校です。

英語はしゃべれませんでしたが、言葉が違う海外で生活することの大変さは中学生で分からなかったため、アメリカに行くことは怖くなかったといい、バスケットボールをやるのだから、日本もアメリカも変わらないだろうと思っていたそうです。

最初に1年はYESとNOだけで乗り切ったといい、ほとんどの授業は最後までよくわからなかったそうですが、アメリカの高校の数学は日本の中学レベルでだったそうで、同級生に教えられたそうです。

シャイな性格もアメリカに位ってポジティブになったと話しています。

チームでは1年生からベンチ入りメンバーとなり、2年生からはスタメンとしも起用され、主にシックスマンとしてとして活躍し、2010年の同校全米ランキング2位ランクインに貢献しました。

2011年には日本代表候補に選出され、同年8月のウィリアム・ジョーンズ・カップには若手選手を主体に構成された日本代表チームの一員として出場しています。

高校卒業後は大学には進学せず、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団しました。

富樫勇樹がバスケットボールを始めたきっかけは?

両親がバスケットボールをやっていて、練習に連れて行かれたことがきっかけで、小学1年生の時にバスケットボールを始めました。

その頃は自分から進んで『バスケットボールがやりたい』と感じではなかったそうで、『サッカーがやりたい』と言っていたそうです。

小学3年生まではバスケットボールを楽しんでいましたが、小学4年生になって試合に出るようになってかは、チームが強かったことから『全国大会』が目標になりのめり込んでいったといいます。

この頃にたまたま試合を見にきていた父親に、

『ドリブルで切り抜けられるのだから、後はシュートが必要だ。フワッと浮かせて打ってみたらどうだ』

とアドバイスされ、この時はフローターシュートとい名前は知らない時でしたが、アドバイスを素直に受け入れ、現在のプレーでもフローターシュートは富樫勇樹さんの得意技です。

父親の富樫英樹は名将

父親の富樫英樹さんは元中学教師で、新発田市立本丸中学校のバスケットボール部の監督を16年間務め、全国大会常連校へと押し上げ、2度日本一へと導きました。

2014年からは同年に開学した開志国際高校でバスケットボール部の監督に就任し、わずか2年後の2016年にインターハイに出場しベスト8、創部5年目の2018年に全国制覇を成し遂げた名将です。

富樫勇樹は大学進学を断念

アメリカの高校に留学して活躍し、NCAA1部の大学からも勧誘を受けて大学進学を希望しましたが、学費全額免除の奨学金を得られなかったため大学進学を断念。

帰国後、2012年に秋田ノーザンハピネッツに入団し、デビュー戦では15得点11アシストのダブルダブルを達成。

2012-2013シーズンから新設されたbjリーグ新人賞を受賞。

2013-2014シーズンには全試合にほぼフル出場し、げアシスト数1位のタイトルを獲得。

ベストファイブにも選出されました。

富樫勇樹はNBA挑戦に失敗?

2013-2014シーズン終了後にNBAへ挑戦することを表明し、2014年6月にNBAへの登竜門となるサマーリーグ参戦を目指し渡米。

ダラス・マーベリックスのサマーキャンプを経て、7月11日にサマーリーグのロスター入り。

チームではポイントガードの3番手という位置づけで出場時間は限られましたが、7月16日のシャーロット・ホーネッツ戦では、約11分の出場時間で12得点をあげ、3クォーター終了間際に放ったフローターショットは、この日のリーグトップ10プレーに選ばれました。

2014年10月、マーベリックスの最終キャンプに召集され、15日にマーベリックスと選手契約しましたが、これはロースターに残らなければ支払保証なしの『ノンギャランティ』契約で、21日には解雇。

その後はラフト会議にかけられ、サンタクルーズ・ウォリアーズに指名された直後に、NBA選手を育成する目的の下部組織のチーム、レジェンズにトレードされレジェンズと契約。

ビザ取得で開幕には間に合いませんでしたが、2015年2月8日のリオグランデバレー・バイパーズ戦ではシーズン最多の12得点を記録。

しかし、2月20日の試合で足首を捻挫していまい、その後は試合全てを欠場。

8月12日にイタリア・セリエAのディナモ・バスケット・サッサリとプレシーズンの契約を結び、練習とプレシーズンゲームに参加したものの、ディナモ・サッサリは9月20日、レギュラーシーズンの契約はしないと発表。

9月28日にNBLの千葉ジェッツとの選手契約をを結びました。

2019年には同チームで、日本バスケ初の年俸1億円プレーヤーになっています。

富樫勇樹の結婚歴や妻、子供は?

富樫勇樹さんはけ結婚しているようです。

2017年8月にスポーツ誌で、

『結婚してるんですけど奥さんの実家の犬です。自宅の近くにペットショップがあって毎回行くたびに飼いたいと思いますね』

引用 https://www.sponichi.co.jp/

と話しています。

当時、富樫勇樹さんは24歳でした。

他には家庭については話していないようで、子供がいるかは不明でした。

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