東京都出身のタレント・薬丸裕英さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
シブがき隊の解散理由は?
妻の石川秀美さんとの馴れ初めは?
子供は何人?
今回はタレントの薬丸裕英さんをリサーチしてみました。
薬丸裕英の学歴・生い立ち・経歴
名前 薬丸裕英
生年月日 1966年2月19日
出身 東京都
身長 170cm
血液型 B型
所属 オールラウンド
小学校・武蔵村山市立第七小学校
中学校・武蔵村山市立第四中学校
高校・・明治大学付属中野高校・定時制
大学・・大学には進学していません
東京都武蔵野市生まれ、幼少期は東京都港区白金台、武蔵村山市、東大和市などに移り住みました。
父親は自動車修理工場を経営。
母親も働いていて、両親は共働き。
兄弟は3歳年上の姉。
小学校は武蔵村山市立第七小学校を卒業。
小学校5、6年生の時は新聞配達のアルバイトをしていて、近所の団地を30軒弱回って配っていたといいます。
中学校は武蔵村山市立第四中学校を卒業。
中学時代はサッカー部に所属。
高校は明治大学付属中野高校・定時制に入学。
高校時代には時芸能活動をしており、高校は3年生中退しています。
薬丸裕英がデビューしたきっかけは?
『薬丸はその付き添いとして赤坂のTBSテレビまで行った所、友人と共に薬丸もジャニー喜多川からスカウトされ、ジャニーズJr.となる。』
引用 https://jjpedia.web.fc2.com/
1979年、13歳の時にジャニーズ事務所に履歴書を送って応募していた同級生が面接に呼ばれたため、面接を受ける友人に付き添うと、ジャニー喜多川氏からスカウトされて、ジャニーズ事務所に入所しました。
薬丸裕英 シブがき隊の解散理由は?
薬丸裕英さんはジャニーズ事務所入所の2年後、1981年4月から放送されたTBS系の学園ドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。
15歳の時でした。
翌年の1982年5月にシブがき隊のメンバーとして『NAI・NAI 16』でアイドル歌手デビュー。
週間オリコン3位にランクイン。
同年末の第33回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦には、1986年までに5回連続出場しています。
1988年8月7日の東京厚生年金会館でのコンサートでグループの解散を示す解隊宣言を発表。
同年11月2日の代々木第一体育館のコンサートをもって解隊しました。
解散はランキングなどが徐々に落ちてきた頃、薬丸裕英さんが、
『今後の方向性をどうする?』
と言った時、もともと芝居の仕事に興味があった本木雅弘さんが
『辞めたい』
といったことがきっかけだったといいます。
薬丸裕英 シブがき隊解散後
シブがき隊解散後は俳優として活動した後、1996年9月からTBS系の朝の情報番組『はなまるマーケット』の男性総合司会に就任。
2014年3月まで約18年出演しました。
番組終了後はタレントとして活動しています。
薬丸裕英と妻の石川秀美の馴れ初めは?
薬丸裕英さんが結婚したのは1990年6月。
24歳の時でした。
妻の石川秀美も同い年。
結婚時は23歳でした。
石川秀美さんは1982年4月、15歳でアイドル歌手デビュー。
1985年には第36回NHK紅白歌合戦にも出場しています。
同い年で同じ1982年に歌手デビューしてる2人は、クラスメートのような付き合いから始まったといいます。
交際は始まったのは1985年。
デビューから3年目でした。
1986年には熱愛が報じられたいたといいます。
交際期間約5年を経ての結婚でした。
結婚会見では石川秀美さんが妊娠6ヶ月なことも明かされました
薬丸裕英の子供は何人?
薬丸裕英さんの子供は5人。
子供は息子が3人と娘が2人。
1990年に長男・翔さん
1993年に次男・隼人さん
1996年に長女・玲美さん
1999年に三男・宰さん
2008年に次女・愛美さん
が誕生しました。
2008年に愛美さんが生まれた時、薬丸英裕さんは42歳でした。
長男の薬丸翔さんは2006年から俳優として活動。
次男の薬丸隼人さんは元サッカー選手で、中学卒業後はスペインとイギリスの高校に通いスペイン語と英語を身につけ、サッカー選手としては2012年、スペイン2部(当時)『サバデル』のBチームにまで昇格。
オーストラリアの『ウーロンゴン・オリンピックFC』に在籍していた2019年に引退しています。
長女の薬丸玲美さんはタレントをしていたようです。