沖縄県出身の大地康雄さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚は妻は?
子供はいる?
今回は俳優の大地康雄さんについてリサーチしてみました。
大地康雄の学歴・生い立ち・経歴
名前 大地康雄
生年月日 1951年11月25日
出身 沖縄県
身長 170cm
血液型 B型
所属 パイプライン
中学校・石垣市立石垣中学校
高校・・八重山商工高校
大学・・大学には進学していません
熊本県熊本市生まれ。
本名は下地常雄。
両親共に沖縄県出身。
小学5年生の時に沖縄県石垣市に引っ越し。
当時は沖縄ではドルが使われいた時代で、色々とカルチャーショックを受けたといいます。
中学校は石垣市立石垣中学校を卒業。
中学2年生の時に映画の撮影にきた俳優の三國連太郎さんを目撃。
三國連太郎さんとは俳優になってから映画『マルサの女2』で共演しています。
高校は八重山商工高校に進学。
八重山商工高校は沖縄県石垣市真栄里にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は39。
高校の1期生で、生徒会長も務めました。
生徒会長の時には、男ばかりの機械科・電気科の男子のために、商業科の女子と交流できるよう企画したフォークダンス大会を開催し、大好評だったそうです。
卒業時にははまだ校門もなかった高校にに300本の植樹をしたといいます。
高校卒業後は集団就職で上京し、都内の大手スパーに就職し、葛飾区で働きました。
大地康雄が俳優になったきっかけは?
『同僚の一人が、ある日突然「俺、俳優になるために、オーディションを受ける!」なんて突拍子もないことをいい出したんです。俳優といえば、高倉健さんとか石原裕次郎さんとかでしょう。世界が違うよと思いつつ、ヒマな私は彼のオーディションに付き合うことにしました。』
引用 http://www.goldenlife.jp/
大地康夫さんは就職後、出身地によってずいぶん待遇が違ったといい、関東出身の人たちはきれいなOLさんたちとビルの上階で仕事をしているのに、沖縄組は地下の倉庫で毎日同じ事をの毎日だったといいます。
それに耐えかねた同僚が、俳優のオーディションを受けると言いだし、世界が違うよと思いつつも、ヒマだった大地康夫さんはオーデションに付き合うことにしたそうです。
そのオーディション会場に向かう途中に、ドラマのロケに出くわし、
『あんなきれいな女性と仕事ができるんだ』
と俳優の仕事が魅力的に見え、そのままオーディションをに参加し合格しました。
大地康雄 俳優デビュー後
大地康夫さんはオーディションに合格しましたが、
『俳優になるなんて夢のまた夢』
との思いがあったため、その後も1年働きましたが、自分には向いていないんじゃないかと思うようになり、俳優を目指す決意し退職。
俳優を目指しながら、窓拭きのアルバイトで行った家が俳優の伊藤雄之助さんの家だった為、弟子にしてほしいと何度も頼み込み、7回目にして晴れて弟子入りが許され付き人となりました。
1979年9月公開の映画『衝動殺人 息子よ』で映画デビュー。
当時27歳でした。
1983年7月に放送されたドラマ『深川通り魔殺人事件』主役の殺人犯役と演じ、無名の主役でありながら、視聴率26%の大ヒット。
注目された反面、リアル過ぎてそういう人間だと思われてしまい、たまにくる仕事は悪役ばかりになったそうです。
1987年公開の映画『マルサの女』の主人公の同僚・伊集院役で大ブレイク。
当時35歳。
『ある事情で役を降りた人のピンチヒッターでした。』
伊集院役は代役で出演したそうです。
大地康夫さんが主演したドラマ『深川通り魔事件』の再放送をたまたま見た、伊丹十三監督の目に留まって出演が決定したといいます。
この役で、悪役のイメージから抜け出すことができ、いろいろな役がくるようになったそうです。
『マルサの女』と翌年の1988年10月公開の映画『バカヤロー! 私、怒ってます』で、
第43回 毎日映画コンクール・男優助演賞
を受賞しました。
大地康雄の結婚や妻、子供は?
大地康夫さんは時期は不明ですが結婚しているようです。
子供は息子で、2013年に徹子の部屋に出演した際に大学生と発言していたようです。
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