福島県出身の俳優・斉藤暁さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の斉藤暁さんについてリサーチしてみました。
斉藤暁の学歴・生い立ち・経歴
名前 斉藤暁
生年月日 1953年10月28日
出身 福島県
身長 165cm
血液型 O型
所属 オフィスPSC
高校・・郡山工業高校電気科
大学・・大学には進学していません
福島県郡山市出身。
父親は東北電力に勤務する電気工事の技術者でしたが、退職し電気工事店を経営。
兄弟は兄。
『そこはいいとこの坊ちゃんお嬢ちゃんが来る学校だったんですよ。僕は学区外だったんだけど、おやじが兄弟で自分のでんき屋を継がせたかったから、ちょっと頑張っていい学校に入れようとしたみたい』
引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
小学校は学区外の学校に通っていたようです。
中学時代は器械体操部に所属。
高校は郡山工業高校電気科に進学。
郡山工業高校は福島県郡山市八山田にある、男女共学の県立高校。
現在の偏差値は48。
高校時代はバレーボール部に所属。
電気科には、実家の実家の電気店を継ぐつもりで入学しましたが、すぐ好きじゃないとこが分かり、入学当初は優秀だった成績は下がり、最後にはビリになったそうです。
高校卒業後は兄とともに実家の電気店で働きましたが、仕事は嫌でしかたがなかったといいます。
働き始めて2年ほどたった時、父親とつかみ合いのケンカをして家を出て、友人のツテで地元の当時開局したばかりの福島中央テレビに就職。
大道具と照明を担当し、4年間勤めました。
斉藤暁が俳優になったきっかけは?
『テレビ局の仕事をしながら、地元・福島の劇団の人と知り合うようになったのが俳優になるきっかけです。』
引用 https://www.nikkan-gendai.com/
テレビ局の仕事は大変でそのはけ口として、2年くらいたった頃に、地元の劇団に入団。
公演は1年に1回でしたが、楽しかったそうです。
その後、同郷の画家・熊克芳さんと出会い、意気投合。
『田吾作会』というグループをつくり、一緒にアングラ劇団を地元の呼んだりしたそうです。
ある日、熊克芳さんに
『君は東京に行かなきゃいけない。今やらないと後悔するぞ』
と焚きつけられ、劇団『自由劇場』(現在のンシアター自由劇場)のオーディションを受けると合格しました。
斉藤暁 長い下積み
斉藤暁さんは1977年、23歳の時にテレビ局を退職し上京。
劇団『自由劇場』に入団しましたが、福島訛りが取れず、稽古のたびに、『福島に帰れ!』などと罵倒される日々だったといいいます。
訛りを直すためにアクセント辞典を買い練習すると、今度はアクセントばかり気になってしまい、感情を入れるどころではなくなってしまったそうです。
何度も辞めようと思いましたが、小さな役でももらうたびに、
『じゃあ、これをやってからにしよう』
と続けていたといいます。
1986年に、同じ自由劇場出身の大谷亮介さん、余貴美子さんとともに劇団『東京壱組』の創立メンバーとなり、映像の仕事も本格的にはじめました。
斉藤暁 踊る大捜査線でブレイク
斉藤暁さんは1997年1月から放送されたドラマ『踊る大捜査線』に警視庁湾岸警察署副署長・秋山 晴海役で出演。
当時、44歳でした。
『大きかったのはやっぱり「踊る大捜査線」ですね。楽しかった。』
北村総一朗さん、小野武彦さんとともにスリーアミーゴスとしてブレイク。
斉藤暁さんは小野武彦さんより10歳くらい年下でしたが、ドラマでは上司の役でやりづらかったといいます。
スリーアミーゴスは、スピンオフ作品やCM、イベント、バラエティ番組にも出演するほどの人気を獲得しました。
スリーアミーゴスを主役にした舞台『舞台も踊る大捜査線 ザッツ!!スリーアミーゴス』も5回上演されました。
1999年に『科捜研の女』(テレビ朝日系)第1シリーズに出演し、第1シリーズのみの出演でしたが、第5シリーズからは別役の研究員・日野和正として再登場し、以降レギュラー出演しています。
斉藤暁の結婚歴や妻は?
斉藤暁さんが結婚したのは1977年頃のようです。
結婚時は24歳くらい。
妻は福島県出身で、同じアマチュア劇団だった女性。
名前は文恵さん。
劇団『自由劇場』に合格後、結婚して一緒に上京しました。
『僕があてにできないもんだから結局離婚してしまいました。なんとかなると言って説得してきたものが、できなくなったんですね。』
下積み時代は妻の文恵さんが生活を支えたそうですが、経済的な理由もあり妻が出て行ってしまい、離婚したそうです。
斉藤暁に子供はいる?
斉藤暁さんには2人の息子がいるそうです。
離婚後は妻が引き取っっています。
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