小籔千豊の嫁や子供、ベジタリアンで肉を食べない理由やバイキング、高校などの学歴

吉本新喜劇の座長を務める小籔千豊さん。

結婚しているようですが、嫁や子供は?

小藪千豊さんはベジタリアンで肉を食べないそうですが、その理由は?

小藪千豊さんは『バイキング』で多く検索されています。

今回はお笑いタレントの小藪千豊さんについてリサーチしてみました。

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小籔千豊の嫁

小藪千豊さんが結婚したのは2001年10月の28歳のとき。

嫁は一般女性。

小藪千豊さんと嫁との出会い・馴れ初めは高校3年生のときのスキー旅行。

小藪千豊さんがスキーに男3人、女3人をセッティングしたものの、そのうちの1人女性がが急に家の用事で行けなくなり、代わりに来た子が後の嫁だったそうです。

高校卒業してすぐに付き合い始め、交際期間は9年での結婚だったそうです。

小藪千豊さんが結婚した2001年はお笑いコンビ『ビリジアン』が解散した年。

『ビリジアン』をしていたときは、大卒の初任給くらいの収入あったそうですが、コンビ解散後は収入が激減。

小藪千豊さんは生活の安定を求めて、同年に『吉本新喜劇』に入団しますが、新人である小藪千豊さんの口座残高は約2万円だったといいます。

小藪千豊さんはお笑いをやめることを決意し嫁に、

『安定した普通の仕事に就くから、結婚しよう』

とプロポーズしたそうです。

すぐに、就職情報誌で自分が出来そうな仕事を探しますが、芸人仲間の野性爆弾のロッシー、シャンプーハットのこいで、ケンドーコバヤシなどに、『絶対売れる』と慰留されこんなに気のいい人たちばかりの職場は無いと感動し、ファミレスでバイトしながら芸人を続けたそうです。

2006年1月には新喜劇入団以来、約4年と言う異例の早さで座長に大抜擢されました。

小籔千豊の子供

小藪千豊さんに子供は2人。

子供は娘と息子。

2004年に長女

2010年に長男

が誕生しています。

小籔千豊がベジタリアンで肉を食べない理由

小藪千豊はベジタリアンで肉類は食べないそうです。

魚は食べるそうです。

肉を食べない理由は、宗教やヴィーガンといった思想ではなく父方の祖父の影響。

祖父は健康にうるさく、小藪千豊さんの子供のころからの食卓では、魚は食べますが肉類は食べず、米は玄米という食事だったそうです。

そのため、小藪千豊さんは肉類を食べられなくなったそうです。

前述の通り宗教や思想ではないので、何度か肉類を食べようと試みましたが、身体が受け付けなったといいます。

肉は牛肉、豚肉、鶏肉すべてがダメで、ハムやベーコンの加工食品も食べられないそうです。

小籔千豊 バイキング

小藪千豊さんはフジテレビ系・昼の情報バラエティ番組『バイキング』に放送が開始された2014年4月のから火曜日のレギュラーとして出演していましたが、2018年9月に降板しました。

『バイキング』のMCの坂上忍さんと小藪千豊さんは同年4月に、伊調馨選手をめぐるレスリング界のパワハラ問題を扱った際に、小藪千豊さん坂上忍さんにコメントを求められ、

『栄和人氏サイドの意見がほとんどメディアに出ていないので、片側からの意見だけで結論づけるのはいかがなものか』

と自分の意見を主張、これに対して坂上忍さんはイライラした様子で、

『それは報道のあり方に疑問を呈しているの?』

『報道のあり方に疑問を呈する前に「ご自分はどうお考えなんですか?」って聞いてんだよ?』

と話し再び話し始めようとした小籔千豊さんの遮り話続け、結局、その話題では小藪千豊さんの発言機会はありませんでした。

小藪千豊さんはにAbemaTVの生放送で

『(自分の発言に対し)坂上さんが明らかに嫌な顔をしているときがある。心が折れるときがある』

と明かしました。

小籔千豊の高校などの学歴や経歴

小籔千豊さんは1973年9月11日生まれ。

大阪府大阪市出身。

身長188cm

実家は自転車屋。

小藪千豊さんは小学生のころからなんばグランド花月に通う通うほどお笑いが大好きだったといいます。

中学は大阪市立住之江中学校

高校は近畿大学付属高校

近畿大学付属高校は大阪府東大阪市にある男女共学の私立高校。

現在の偏差値は68

進学校ですがスポーツも盛んでプロサッカー選手、プロ野球選手も排出しています。

小藪千豊さんはお笑いは大好きでしたが、お笑いは一生の仕事ではないと思っていたと話します。

高校2年生のとき、心斎橋筋2丁目劇場で舞台を見にいったところ、全然おもしろくない芸人がいたといいます。

小藪千豊さんいわく、プロのお笑い芸人をプロ野球のピッチャーに例えると、150kmを超える剛速球を投げられないとプロのお笑い芸人になれないと考えていたそうです。

小藪千豊さんは自身を自己分析し、120kmなら出せるけど、150kmは到底無理と思っていいたそうですが、90kmしか投げていない人が、心斎橋筋2丁目劇場で舞台に出ていたのを見て、

『そんなんでいけるんやったら、自分の速球がどこまで通用するか試してみよう』

と決心したそうです。

ただ、『芸人になりたい』というより、

『舞台に立ってみたい』

『テレビも1回くらい出れたらいいかな』

程度のノリだったといいます。

高校卒業後はNSC大阪校に12期生として入学。

1993年、山田知一さんとお笑いコンビ『ビリジアン』を結成。

『ビリジアン』は関西テレビ放送のローカルお笑い番組『爆笑BOOING』で5週勝ち抜きチャンピオンになり、ナインティナインなどもメンバーだった『吉本天然素材』の弟分としてNSC12期生のコンビ6組で結成されたユニット『フルーツ大統領』のメンバーに編成されますが、相方の山田知一さんが構成作家を志し、2001年に解散。

山田知一さんは現在やまだともカズの名前で放送作家として活動しています。

解散後、小藪千豊さんは『俺はおもろない、売れない』と思っており、芸人引退を考えますが、芸人仲間に『お前は絶対売れる』と止められ芸人を続けました。

解散した2001年に吉本新喜劇に入団。

2004年ごろからは、座長不在時に代役を務めるなどの役目を任されるようになり、2005年8月ごろに座長就任要請があり、2006年1月31日に座長就任が発表されまいた。

2011年、『東京にも新喜劇を広めたい』との思いから東京吉本へ移籍。

東京でタレントとしても成功しましたが、新喜劇を離れるつもりは全く無く、先輩方が50年間培ってきた新喜劇をより大きくして後輩に渡すのが自身の役目であると語てっています。

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