山形県出身の女優・あき竹城さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優のあき竹城さんをリサーチしてみました。
あき竹城の学歴・生い立ち・経歴
名前 あき竹城
生年月日 1947年4月4日
没年月日 2022年12月15日(75歳没)
身長 167cm
血液型 O型
所属 オフィスあきこ
小学校・米沢市立東部小学校
中学校・米沢市立第一中学校
高校・・不明(中退)
大学・・大学には進学していません
山形県米沢市出身。
出生名は竹田明子(たけだ あきこ)。
6人兄弟の末っ子。
小学校は米沢市立東部小学校、中学校は米沢市立第一中学校を卒業。
中学卒業後には、高校には進学してしましたが学校名は不明。
高校時代ではダンス部に所属していました。
高校は中退し、大学などには進学していません。
あき竹城が芸能界デビューしたきっかけは?
『高校もダンス部に所属していたが、大阪のキャバレーでフロアダンサーをしていた姉を頼って中退して大阪へ。』
引用 https://www.sponichi.co.jp/
あき竹城さんは幼少期にテレビで宝塚歌劇団を見て憧れ、モダンダンスを習いました、
高校に進学しましたが、姉の誘いで中退し上京。
上京後はフロアダンサーとして、全国各地で踊り活動。
下積みを経て、1974年に日劇ミュージックホールで初舞台を踏み、デビューしました。
27歳の頃でした。
あき竹城 デビュー後
あき竹城さんは初舞台で披露した山形弁で注目され、1976年、山城新伍さんが司会の信『独占!男の時間』(テレビ東京系)でテレビ初出演。
同年12月公開の映画『河内のオッサンの唄 よう来たのワレ』のホステス・ルミ役で映画デビュー。
29歳の時でした。
女優としヌードも辞さない体を張った演技で名脇役として鳴らし、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した、1983年4月公開の今村昌平監督映画『楢山節考』の出演を機に演技派女優としての地位を築き、多くのドラマ、映画で活躍。
女優以外に山形弁丸出しで話す、明るいキャラクターのタレントとしても活躍しました。
2020年頃に大腸がんを患い、同年9月にはレギュラー番組の『炎の体育会TV』(TBS系)を卒業。
本人の希望で病名は伏せて治療を続けましたが、2022年秋に病状が悪化し、2022年12月15日に他界。
75歳でした。
あき竹城 たこ八郎と熱愛
あきお竹城さんは若い頃は恋多き女として知られていたといいます。
1980年代には、元ボクシングの元全日本フライ級王者のプロボクサーでコメディアンのたこ八郎さんとの熱愛が話題になりました。
2人でのサイパン旅行も報じられたといいます。
その後は、料理研究家の結城貢さんとの交際が噂されました。
あき竹城の結婚歴や夫は?
あき竹城さんが結婚したのは1988年4月。
42歳の頃でした。
夫は会社員の男性。
年齢は8歳年下。
結婚会見では、
『身長1メートル80のスポーツマン。とってもカッコイイ人』
と報告しました。
馴れ初めはグループ旅行。
共通の友人が企画したグループ旅行で出会い、集合場所であき竹城さんは、
『この人!』
とひらめき、あき竹城さんから猛アタックして結婚に至ったそうです。
あき竹城に子供はいる?
あき竹城さんに子供がいるという明確な情報はありませんでした。
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