石川県出身の女子柔道家・松本薫さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
柔道を始めたきっかけは?
柔道はずっと辞めたかった?
引退後はアイスクリーム屋?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回はオリンピック金メダリストの松本薫さんをリサーチしてみました。
目次
松本薫の学歴・生い立ち・経歴
名前 松本薫
生年月日 1987年9月11日
出身 石川県金沢市
身長 163cm
血液型 A型
小学校・金沢市立味噌蔵町小学校
中学校・金沢市立兼六中学校
高校・・金沢学院東高校
大学・・帝京大学
父親、母親、兄と2人の姉と弟がいる5人兄弟の4番目でで7人家族。
父親は調理師で、松本薫さんが現役時代には2カ月半に回のペース程度のペースで、定期的にプラスチックの食品保存容器に入れて食事を送っていたそうで、必ずリクエストがあったのは幼少期から好物『スペアリブの香味ソース炒め』だったそうです。
小学校は金沢市立味噌蔵町小学校を卒業。
5歳の時に、岩井柔道塾で柔道を習い始めました。
子供の頃は口数が少なく、黙って黙々とやるタイプで、勝って喜ばずに淡々としていたといいます。
中学校は金沢市立兼六中学校を卒業。
小学校マラソン大会では毎回1位で、走ることが大好きだったため、中学校では陸上部に入りたいろ思っていましたが、道場があったために部活に入ることは出来なかったといいます。
2年の時には全国中学校柔道大会44kg級で3位となり、3年生の時には52kg級に出場し優勝しました。
中学時代に全国大会で優勝したことから東京の学校から声がかかり、高校は藤村女子高校に進学。
藤村女子高校は、東京都武蔵野市吉祥寺本町にある私立の女子校で、偏差値は45~55。
高校2年生の8月には57kg級でインターハイに出場し優勝しましたが、東京の生活が合わなかったこともあり、地元に戻り金沢学院東高校に転入。
石川県金沢市末町に男女共学の私立高校で、2021年に金沢学院大学附属高校に名称が変更になっています。
偏差値は39~57。
高校を転校したため、高校3年の時は規約でインターハイには出場できませんでした、9月の全日本ジュニアではオール1本勝ちで優勝。
高校卒業後は、地元の短大に進んで栄養士の資格を取得することも考えましたが、最終的には環境の整った帝京大学で柔道に取り組みたいという気持ちが上回ったことで、2006年4月同大学に進学。
同年9月の全日本ジュニアで優勝し2連覇を達成。
2007年11月の講道館杯で優勝し、シニアの全国大会で初優勝。
2008年2月のドイツ国際では2回戦で小外刈であっけなく敗退。
4月の選抜体重別では優勝しましたが、それまでの実績が及ばず、北京オリンピックには選ばれませんでした。
2009年2月のグランドスラム・パリでは3位となり、5月のはグランドスラム・モスクワにも出場し優勝。
2010年3月に帝京大学を卒業し、フォーリーフジャパン所属いました。
松本薫が柔道を始めたきっかけは?
一番上の兄はとても優しい性格で、『いじめられるんじゃないか』と思った両親が柔道を習わせ、それから順番に上から柔道を習うことになり、5歳の時に松本薫さんも習うことになったそうです。
松本薫さんは柔道が嫌で泣いたそうですが、母親に、
『お菓子を買ってあげるから、ちょっとやってみん?』
と言われて始めたそうです。
母親は剣道経験者で、子供には武道をやってほしいと思っていたといいます。
道場はすごく厳しく怖かったそうで、練習も毎日で嫌だったそうです。
しかし、松本薫さんはすぐに頭角を現し、団体戦では10kg以上重い男子相手にも巧みな間合いで対等に渡り合う引き分け要員として活躍し、岩井柔道塾では週1回レスリングの練習も取り入れていたことから、2年生の時にレスリングの全国少年少女レスリング選手権大会にも出場すると22kg級で2位、3年生の時には24kg級で3位、4年生の時には27kg級に出場して3位を記録。
レスリングの指導者はそれほど厳しくなく、また楽しかったので、この当時は柔道よりもレスリングの方に好感を抱いていたといいます。
松本薫は柔道を辞めたかった?
レスリングは楽しめたましたが、柔道は厳しいだけで勝ちたいとの気持ちも沸かず、小学生の時に母親に『柔道やめていい?』と聞くと、『やめたければ自分で先生に言いに行きなさい』
と言われましたが、先生が本当に怖くて言えなかったそうです。
毎日毎日、怒られて『明日も道場か』と思うと、夜寝るのが怖くなるほどだったといいます。
小学3年生の頃には、何か楽しみを見つけないと、このままじゃ自分が壊れると気づき、スポーツは大好きだったので、翌日の体育のバスケや、ドッジボールなどの小さな楽しみを見つけることが得意になったそうです。
『中学卒業を機に、もうこの厳しい道場を出たい、もう怒られたくない、もっと自由になりたいと思ったんです。でも、道場を出るには、地元の石川県を出るしかない。』
引用 https://melos.media/
中学でも柔道は辞めることは出来ず、全国大会で優勝したから、声がかかった東京の高校に石川県から出て地元の道場から離れる目的で進学。
しかし、入学してみると他の部員の柔道に対する意識の違いが大きかったそうです。
『最初から意識の差が大きい。それでコーチや先輩にめちゃくちゃ怒られて、だんだん道場に行かなくなってしまって、友だちとブラブラ遊んでいたんです。それで結局クビになって、地元に帰りました。 』
引用 https://melos.media/
地元の高校に入ってから、姉にものすごい心配をかけていたことに気づき、初めて
『一つでもいいから柔道で何かつかもう、自分の中で納得するまで頑張ろう』
という気持ちになり、自発的に練習に取り組むようになったといいます。
松本薫 ロンドンオリンピックで金メダル
2008北京オリンピックには選ばれませんでしたが、2012年ロンドンオリンピック代表には選出。
当時、24歳で、ロンドンオリンピック出場時は世界ランキング1位でした。
決勝戦では対戦者のはルーマニアのコリーナ・カプリオリウ選手が松本薫さんの足を内側から引っ掛け、この技は柔道では反則負けの対象となる河津掛けに該当するため、松本薫さんは反則勝ちを収め金メダルを獲得しました。
2016年リオデジャネイロオリンピックにも出場し、準決勝では当時、世界ランキング1位だったモンゴルのドルジスレン選手に開始早々の背負投で一本負け、2連覇はならず銅メダルでした。
一時は東京オリンピックも目指しましたが、2019年2月、31歳で引退しました。
引退後はアイスクリーム屋?
松本薫さんは2019年2月の引退会見で、『今後の目標や夢や抱負は?』と聞かれ、
『えーっと、第2の人生なんですが、アイスクリームつくります』
と答えました。
アイスクリー店は引退時に所属していたベネシードの事業で、松本薫さん参加したアイスクリーム店の名前は『Darcy’s(ダシーズ)』。
松本薫さんはアイスクリームが大好きで、現役時代に一時期食べすて、体調を崩したことがあり、毎日食べれるアイスクリームを作りたいと、東京富士大学と提携し健康志向のアイスクリームを開発研究しているそうです。
松本薫さんは店に出ていたこともあるようですが、ホームページで開発の経緯を説明するなど、イメージキャラクターとして役割も大きいようです。
松本薫の結婚歴や夫は?
松本薫さんが結婚したのは2016年11月、29歳の時でした。
夫は1歳年上の男性で、名字は同じ松本の男性。
職業は料理人、帝京大学時代からの付き合いで、8年の交際期間を経て結婚したそうです。
夫のプロポーズの言葉は、
『俺には薫しかおらんし、薫には俺しかおらんから結婚してください』
で松本薫さんは、
『はい』
と答えたといいます。
松本薫の子供は何人?
松本薫さんの子供は娘と息子の2人。
長女が2017年6月、長男が2019年12月に誕生しました。
第二子の息子を出産した時、松本薫さんは32歳でした。
コメント