おしんや渡る世間は鬼ばかりシリーズなどで知られ、実業家としても活躍する女優の東てる美さん。
がんであることを発表し、抗がん剤治療をやめたことも明らかにしました。
そんな東てる美さんの生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫子供は?
今回は女優の東てる美さんをリサーチしてみました。
東てる美の学歴・生い立ち・経歴
名前 東てる美
生年月日 1956年8月12日
出身 東京都
身長 160cm
血液型 AB型
小学校・板橋区立常盤台小学校
中学校・実践学園女子学園中学校
高校・・実践女子学園高等学校
大学・・進学していません
本名は山辺 素美(やまべ もとみ)
東京都板橋区出身、父親、母親、弟の4人家族。
小学校は板橋区立常盤台小学校出身。
小学生の時は合唱団に入っていました。
中学校、高校は実践女子学園を卒業。
実践女子学園は、東京都渋谷区にある私立の女子校で、中学校の偏差値は62。
完全中高一貫制のため高校での生徒募集はありません。
高校在学中にはオイルショックなどの影響で、父親の収入が下がり、学費を稼ぐためにスナックでアルバイトをしていたといいます。
高校卒業後は大学などには進学せずに、女優の道に進みました。
東てる美が女優デビューしたきっかけ
父親の知り合いが女優の谷ナオミさんのマネージャーをしていたことが縁で、1974年のに谷ナオミさんの劇団が名古屋公演を観にいくと、当日の朝に劇団員が事故で出演できなくなったため、穴埋めでの出演を頼まれアルバイト感覚で出演したことがきっかけで芸能界入り。
ピンク映画を経て1974年、『生贄夫人』で日活初出演。
次第にアイドル的なポジションになり、1976年の『禁断 制服の悶え』でトップ女優としての地位を確立しました。
東てる美 おしんに出演
1976年6月から放送されたTBS系『美しき殺意』でドラマデビュー。
1981年に大河ドラマ『おんな太閤記』におみつ 役で出演、1983年に朝の連続テレビ小説『おしん』におしんの奉公先の娘・八代加代 役で出演し、その演技で実力派女優として存在感を発揮しました。
1990年からはTBS系『渡る世間は鬼ばかり』シリーズに出演し、2019年まで全シリーズに出演しました。
実業家としても活躍
東てる美さんはまんだらけが中古まんが本販売で成功してることを知ると、独自で漫画専門店の『まんが堂』をオープン。
最盛期にはフランチャイズ店が40店舗まで成長しました。
その後は、自然派化粧品の販売、高級ペットフードの輸入販売など、さまざまなビジネスを展開しています。
抗がん剤治療をやめた理由
テレビ番組で検診を受けたことがきっかけで、2018年7月に肺腺がんと判明。
セカンドオピニオン、サードオピニオンも受けステージⅠBの早期で発見だったことから、手術が可能で、その先生にも、
『手術できるということは良いことなんですよ』
と言われたたといいます。
手術でリンパにもがんがみつかり、再発予防のため抗がん剤治療を開始。
4クール受ける予定でしたが、2クール目に激しい耳鳴りや味覚障害といった副作用が出たため抗がん剤治療をやめたたそうです。
再発の予防のための治療だったので、医者からも引き留められることはなかったと話しています。
東てる美の結婚歴や夫
東てるみさんの結婚歴は1度、離婚歴も1度です。
結婚したのは1985年2月、28歳の時でした。
夫は23歳年上で、元マネージャーだった山辺信雄さんで、結婚時は51歳。
出会ったのは結婚の11年前だったといいます。
山辺信雄さんに離婚歴があり再婚で、当時15歳の娘と生活していて、東てる美さんは28歳で15歳の娘ができました。
離婚したの結婚10年目の1995年6月でした。
東てる美の子供は?
東てる美さんは連れ子の娘以外に、娘が1人います。
1985年8月に江梨さんが誕生しました。
江梨さんは幼い頃には子役として活動し、1989年、3歳の時には大河ドラマ『春日局』に出演し東てる美さんと共演、1993年、8歳の時には『渡る世間は鬼ばかリ』にも出演しました。
離婚時は9歳で、離婚後は東てる美さんが育てました。
江梨さんは女優にはならず、アメリカに留学してそこで知り合ったアメリカ人男性と2011年に結婚。
孫娘も誕生しましたが、夫の浮気が原因で2013年に離婚しています。
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