映画『伽耶子のために』のヒロイン役でデビューした女優の南果歩さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
夫との馴れ初め、離婚理由や子供は?
今回は女優の南果歩さんをリサーチしてみました。
目次
南果歩の学歴・生い立ち・経歴
名前 南果歩
生年月日 1964年1月20日
出身 兵庫県尼崎市
身長 162cm
血液型 A型
所属 Shanties
小学校・尼崎市立立花南小学校
中学校・尼崎市立南武庫之荘中学校
高校・・尼崎高校
大学・・桐朋学園大学短期大学部
父親、母親、11歳年上、8歳年上、6歳年上、2歳年上の姉がいる5人姉妹の末っ子で7人家族。
父親は建設会社を経営していましたが、南果歩さんが小学2年生に時に倒産し、両親は離婚。
その後は母親が喫茶店の経営を始め、以降はさまざまの飲食店を開きました。
姉が4人もいたことから、子供の頃からませていたそうです。
中学時代はテニス部に入部しましたが、貧血で退部しています。
高校は尼崎高校に進学。
尼崎高校は、兵庫県尼崎市上ノ島町にある男女共学の尼崎市立高校で、偏差値は53。
卒業生には元プロ野球選手の池山隆寛さん、喜劇俳優の岡八朗さんなどがいます。
高校時代はバドントワリング部に所属していました。
大学は桐朋学園大学短期大学部・演劇科を卒業。
東京都調布市若葉町にある私立大学、2004年に桐朋学園芸術短期大学に改称されています。
短大在学中に女優でデビューしました。
南果歩が女優デビューしたきっかけは?
高校時代のバトントワリング部で、踊り自己表現をしていましたが、踊るだけではなく『言葉を使って表現したい』と思い俳優を目指すようになったといいます。
短大在学中、1984年に映画『伽耶子のために』のヒロイン役オーディションに、2200人の中から合格し、主演で映画デビューしました。
南果歩 デビュー後
短大卒業後の1985年にTBSの昼ドラ『五度半さん』に主演しドラマデビュー。
1989年には映画『夢見通りの人々』『せんせい』『螢』『226』の演技で、
第32回ブルーリボン賞・助演女優賞
第2回日刊スポーツ映画大賞・助演女優賞
を受賞。
以降はドラマ、映画、舞台など第一線で活躍しています。
南果歩と辻仁成の馴れ初めは離婚理由は?
南果歩さんと辻仁成さんが結婚したのは、1995年。
辻さんは作家でミュージシャン、1985年にロックバンドの『ECHOES(エコーズ)』のボーカルでデビュー、1989年、『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞し作家デビューし、1997年に『海峡の光』で第116回芥川賞を受賞しました。
南さんと辻さんの出会いは1992年。
辻さんの小説『クラウディ』に惹かれた南さんが、映画化したいと働きかけたことで出会い、交際に発展。
1994年に辻さんのロンドンのレコーディングに南さんが同行したことが報道され、南さん会見を開き交際を認め、
『今はその意思はありませんが、プロポーズは私からします』
と宣言、2年半の交際を経て、実際に南さんがプロポーズしました。
離婚したのは、8年目の2003年3月、離婚の原因について離婚発表のFAXで、、
『夫も妻も子供もそれぞれが独立した家庭というものを作ってきたつもりでしたが、その中で同じ物を大切にする気持ち、たったひとつでも共有する思いというものがあればいいのだと考えていました。しかし、それらの大事な接点がずれてしまったことが、大きな理由のひとつだと言えます』
と記されました。
南果歩と渡辺兼の馴れ初めや離婚理由は?
南果歩さんが渡辺兼さんと再婚したのは、2005年12月。
渡辺さんも元モデルの女性と離婚歴があり再婚でした。
馴れ初めは2003年に放送されたドラマ『異端の夏』での共演だと言われています
南さんは2016年に乳がんステージ1が見つかりましたが、抗がん剤・放射線治療を受け寛解しています。
13年目の2018年5月に離婚を発表。
『2人が離婚へと向かった理由は、渡辺の浮気だ。しかも、それが乳ガンから生還後の出来事とあり、彼女としても忸怩たるものがあったことは想像に難くない。』
離婚の原因は渡辺さんの女性問題と報じられています。
南果歩の子供は何人?
南果歩さんの子供は息子が1人、辻仁成さんとの子供で、渡辺兼さんとの子供はいませんでした。
1995年に息吹(いぶき)さんが誕生。
息子は離婚時は4歳で、親権は南さんが持ちました。
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