アニメ『ムーミン』の声優えを務めたことで知られる、個性派女優の岸田今日子さんの生い立ち、経歴や学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫との離婚理由は?
死因や晩年について。
今回は女優の岸田今日子さんをリサーチしてみました。
目次
岸田今日子の学歴・生い立ち・経歴
名前 岸田今日子
生年月日 1930年4月29日
没年月日 2006年12月17日(76歳没)
出身 東京府豊多摩郡(現・東京都杉並区)
身長 156cm
血液型 A型
小学校・立教高等女学校付属尋常小学校
中学校・立教高等女学校
高校・・自由学園女子部高等科
大学・・進学していません
父親、母親、姉の4人家族。父親は劇作家で文学座の創設メンバーの岸田國士さん、姉は詩人の岸田吟子さん。
小学校は立教高等女学校付属尋常小学校に入学。
東京都杉並区久我山にある私立小学校で、現在の立教女学院小学校です。
中学校は立教高等女学校に入学、現在の偏差値は66。
12歳の時に母親が結核で他界、中学時代には姉と長野県松本市の農家に疎開し、県立飯田高等女学校に転校。
長野県飯田市上郷黒田にある、現在の飯田風越高校。
戦後、1946年に東京に戻り、自由学園女子部高等科に進学、東京都東久留米市学園町にある私立学校高校で現在の偏差値は49。
高校卒業後は、文学座付属演劇研究所に入所しました。
岸田今日子が女優になったきっかけは?
高校時代に彫刻家の本郷新さんが担当した美術の講義に感銘を受け、舞台美術に興味を持ち、高校卒業と同時に文学座付属演劇研究所に、舞台美術を学ぶため研修生として入所しました。
文学座の創設者のひとりだった父親の岸田國士さんは、娘が役者になるのは反対で、岸田今日子さんが俳優でなく、勉強したいのは舞台美術であることを確認した上で入所を許可したといいます。
しかし、入所した翌年の1951年に頼まれて一度だけ舞台『キティ台風』に出演すると、芝居の魅力に取り付かれ、俳優になることを決意。
反対していた父親も、岸田さんの意志が固いこと知ると許可したといます。
ムーミンの声優を担当
1952年に文学座に正式に入団し、同年に座員として初舞台を踏み、1953年に『にごりえ』で映画デビューしました。
1954年に突然の病で父親が他界。
1960年に舞台『サロメ』で主役に抜擢、1962年には『冷えた茶』(TBS)でドラマデビューしました。
1962年に映画『破戒』で
第13回ブルーリボン賞・助演女優賞
を受賞。
1969年からはのアニメ『ムーミン』の主人公・ムーミントロールの声優を担当。
ムーミンの声優を引き受けたのは、娘に自分の仕事を理解してもらおうと思ったこが理由だといいます。
岸田今日子の結婚歴は?
岸田今日子さんの結婚歴は1度。
1954年に俳優の仲谷昇さんと結婚しました。
仲谷昇さん文学座の1年後輩、多くのテレビ、映画でバイプレーヤーとして活躍しました。
夫婦で『キリンビール』のCMに出演したこともあり、おしどり夫婦として知られていました。
岸田今日子と夫の離婚理由は?
離婚したのは結婚24年目の1978年。
離婚は娘に、
『おとうさんと、おかあさんは仲が悪いの?』
聞かれたことがきっかけで、
『おしどり夫婦などと世間からは言われて、人様の前に出ているけれど、もうそうやって自分をいつわってゆくのは止めよう』
と思い離婚を決意したといいます。
離婚後も同じ『演劇集団 円』し共演するなど、役者同士としては良好な関係が続いていたようです。
離婚後、再婚することはありませんでした。
岸田今日子の子供は娘?
岸田今日子さんの子供は娘が1人、1968年にまゆさんが誕生しています。
結婚直後に最初の妊娠をしましたが、流産を経験し2度目の妊娠でした。
1度目の妊娠の時は多忙だったため、2度目に妊娠の時は仕事を休み出産したといいます。
1978年に離婚した時はまゆさんは10歳で、岸田今日子さんが引き取り育てました。
岸田今日子の死因と晩年
1976年に出演した映画『犬神家の一族』で琴の師匠役を演じ、2006年度版の同映画でも同じ琴の師匠役でキャスティングされていましたが、調不良のため降板。
2006年1月下旬に、激しい頭痛を繰り返すようになり病院で精密検査をすると、脳腫瘍が発覚。
手術を受けず放射能治療での回復をめざし、すぐに入院、一度は快方に向かい4月に退院して自宅静養していましたが、4月に再び体調を崩して入院。
2006年12月17日に、脳腫瘍による呼吸不全のため死去、76歳でした。
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