藤吉久美子の元夫や再婚の馴れ初め、子供は息子?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

朝の連続テレビ小説『よーいドン』で主演デビューした藤吉久美子さんの経歴や高校、大学などの学歴は?

女優デビューしたきっかけは?

元夫はとの離婚理由は?

再婚した太川陽介との馴れ初めは?

子供は息子?

今回は女優の藤吉久美子さんをリサーチしてみました。

藤吉久美子の学歴・生い立ち・経歴

名前   藤吉久美子
生年月日 1961年8月5日
出身   福岡県久留米市
身長   160cm
血液型  AB型
所属   劇団青年座

 

藤吉久美子の学歴

小学校・久留米市立大善寺小学校

中学校・福岡女学院中学校

高校・・福岡女学院高校

大学・・大阪芸術大学

実家は代々産婦人科医院を経営してしている家系で、祖父、父親、兄、弟も産婦人科医。

自宅と病院は廊下でつながっていて、看護師や病院の従業員も一緒に暮らし、多い時には30人ほどいたといいます。

中学受験の時に母親は風邪をいひいて体調が悪かったにもかかわらず同行してくれ、その1週間後に他界。

12歳の時でした。

中学、高校は福岡女学院を卒業。

福岡県福岡市南区曰佐にある私立の女子校で、キリスト教系のお嬢様学校。

偏差値は中学校が45、高校が62、高校時代は陸上部に所属し、専門は短距離でした。

ダンスや歌も好きで、高校でモダンダンスに惹かれ、大学は大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に進学し、舞踏を専攻。

大阪府南河内郡河南町東山にある私立大学で、芸術学部の偏差値は45。

大阪芸術大学には医師の父親の反対を押し切って入学しました。

大学在学中に女優デビューが決まり、大学は中退しています。

藤吉久美子が女優デビューしたきっけかは?

大学入学後、同じ舞踊専攻の先輩が学生劇団だった『劇団☆新感線』の振り付けを担当していて、先輩が卒業する時に変わりを頼まれ、劇団に参加。

女優になったのは演出家に声をかけられたことがきっかけでした。

『君が主役で舞台をやりたい。』と演出家に言われましたが、ダンサー志望のため断ると、演出家は『君がやらないならこの公演はやらない』と言い、藤吉さんは責任を感じ舞台に立つことを決意したそうです。

すると、その舞台を観たNHKのプロデューサーに朝ドラのオーディション参加を勧められ、最初は『興味がない』と断りましたが説得されて受けると、応募者568人の中からヒロインに合格しデビューが決まりました。

藤吉久美子 朝ドラ『よーいドン』で主演デビュー

1982年4月から放送されたNHK連続テレビ小説『よーいドン』で主演デビュー。

裕福な家庭に生まれた女性が、家業の倒産からマラソンランナーとして波乱万丈に生きていく主人公を演じ、平均視聴率は38.8%、最高視聴率43.1%を記録、一気に人気女優となりました。

翌年の1985年4月からはフジテレビ系で放送された東海テレビ制作の昼ドラマ『しのぶ』に主演、以降は主にバイプレーヤーをして活躍。

2004年4月2日からはTBSの情報番組『はなまるマーケット』に金曜レギュラーとして出演し、「ふじよし洋品店」、「ふじよし洋品店デラックス」などを担当し、タレントしてモ活動しています。

藤吉久美子の元夫との馴れ初めは離婚理由

藤吉久美子さんは1988年、27歳の時に7歳年上の歌舞伎俳優の坂東正之助さん(現・四代目河原崎権十郎)さんと結婚。

馴れ初めは藤吉さんのデビュー作品『よーいドン』での共演でした。

離婚したのは結婚4年目の1992年、価値観の違いや藤吉さんが梨園の妻の立場に馴染めなかったことが、離婚の理由だといいます。

2人に子供はいませんでした。

藤吉久美子と再婚した太川陽介の馴れ初め

2歳年下の太川陽介さんと再婚したのは、離婚から3年後の1995年。

馴れ初めはドラマでの共演。

しかし、ドラマでの一緒のシーンはなく、帰りの新幹線が同じになったことで急接近しました。

2人ともマネージャーがいない状況で同じタクシーと新幹線で帰ることになり、そこで太川陽介さんが食事に誘ったことで交際に発展。

太川陽介さんは初婚でした。

藤吉久美子の子供

藤吉久美子さんの子供は息子が1人。

太川陽介さんとの子供で、2001年7月に弘喜(ひろき)さんが誕生しています。

出産した時、藤吉さんは39歳。

弘喜さんは立教大学で野球部に所属していました。

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