「帰ってきたウルトラマン」で主演を演じたことで知られる俳優の団時朗さんの経歴・学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
晩年や死因は?
今回は俳優の団時朗さんをリサーチしてみました。
団時朗の学歴・経歴
名前 団時朗
生年月日 1949年1月30日
没年月日 2023年3月22日(74歳没)
出身 京都府京都市
身長 187cm
血液型 AB型
所属 アルファエージェンシー
日本人の母親とイギリス系アメリカ人の父親のもとに生まれたハーフ。
父親はアメリカ軍人で2歳の時に朝鮮戦争で戦死。母親は小唄の師匠をしていました。
子供の頃に住んでたのは京都の長屋で、近所の銭湯が休みの日には白い幕を張って8ミリフィルムの上映会をしていたといい、チャップリンの映画をよく見ていたそうです。
中学校は平安中学校、高校は平安高校を卒業。
京都府京都市下京区にある男女共学の私立学校で、現在の中学校の検査値は52、高校は42~61。
野球部が強く、夏の甲子園では優勝3回、準優勝4回をしています。
長く男子校で2003年に男女共学化。2008年には龍谷大学付属平安中学校・高校に改称されています。
高校在学中に芸能活動を始め、高校卒業後は上京し芸能活動に専念しました。
団時朗が俳優になったきっかけ
高校時代に母親が知り合いだった大映の三隅研次監督に頼み、勝新太郎さん主演の映画『酔いどれ博士』に端役で俳優デビュー。
その後も大映撮影所でエキストラをしていました。
その活動が、当時、大映の看板女優のひとりだった江波杏子さんの目に留まり、友人のファッションデザイナーに写真を送ったがきっかけでモデルデビュー。
1967年3月に高校卒業後は上京し、5月には前田美波里さんと資生堂サンオイルのテレビCMで共演。
翌年の1968年には資生堂の男性用化粧品「MG5」のCMキャラクターに選ばれ、ファッションモデルとして注目されました。
同年5月には渡哲也主演映画『わが命の唄 艶歌』に出演。6月には同映画の主題歌『バラの恋』で歌手デビューもしています。
帰ってきたウルトラマンの主演に抜擢
モデル、歌手活動を中心にしていましたが、1971年、22歳の時に特撮ドラマ『帰ってきたウルトラマン』の主演に抜擢。
『主役に決まった細かな事情は、実はあまり知らないんですよ。』
当時、所属していたのは音楽事務所が母体だった事務所でしたが、演劇に強いスタッフが入ったことで「ウルトラマン」の仕事が入ってきたといいます。
ドラマ主題歌の『帰ってきたウルトラマン』も歌いました。
同ドラマで人気俳優となり、1975年に放送された特撮ドラマ『少年探偵団』では怪人怪人二十面相役を演じ、最終回では正体は団次郎さん(当時の芸名)本人という設定で演じました。
1984年の『ハムレット』以降が舞台にも活動の場を広げ、ストレートプレイからミュージカルまで幅広く舞台に出演しました。
2015年からはドキュメンタリーとドラマパートを融合して構成された番組『京都人の密かな愉しみ』(NHK BSプレミアム)で主人公のエドワード・ヒースロー役を演じました。
団時朗の結婚歴や妻、子供
団時朗さんは生涯結婚することはなく独身で妻、子供はいません。
トーク番組に出演した際に、若い頃には婚約破棄をされたことを明かしています。
ハワイの教会で結婚式を挙げる予定でしたが、式の直前、婚約者の女性に「やっぱりやめよう」と切り出され、破談になったといいます。
団時朗の晩年と死因
団時朗さんは2017年の夏頃に肺がんと診断。
その後も治療を受けつつドラマ、映画、舞台に出演していましたが、2022年末に体調が悪化して入院。
2023年3月22日に肺がんのために死去。74歳でした。
遺作は2022年5月28日に放送された『京都人の密かな愉しみ』で、命日には再放送されていました。
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