「朝倉南ネタ」でブレイクしたお笑い芸人のいとうあさこさんの学歴や経歴は?
お笑い芸人デビューしたきっかけは?ブレイクのきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
今回はお笑い芸人のいとうあさこさんをリサーチしてみました。
いとうあさこの学歴・生い立ち・経歴
名前 いとうあさこ
生年月日 1970年6月10日
出身 東京都渋谷区
身長 162cm
血液型 AB型
所属 マセキ芸能社
父親、母親、3歳年上の兄と1歳年下の妹の5人家族。
父親は元富士銀行(現・みずほ銀行)の常務、母親の実家はスチール家具会社で成功した実業家。
溯ると「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一」さんと縁があるといいます。
実家は千駄ヶ谷の一等地にある邸宅で、家庭は裕福でした。
小学校はお受験して、雙葉小学校に入学。
中学校は雙葉中学校、高校は雙葉高校に進学しました。
東京都千代田区六番町にある私立の女子校で、桜蔭、女子学院と共に「女子御三家」と呼ばれる」お嬢様学校です。
中学校の偏差値は68。完全中高一貫制のために高校の生徒募集はありません。
中学、高校時代は陸上部、天文部に所属していました。
理系が好きでしたが、両親に勧められ文系の大学を受験し失敗。
『19歳で家を飛び出してしまったんです。遅い反抗期が来たことと、シンガー・ソングライターの尾崎豊さんとの出会いが重なっちゃって。』
浪人をしていましたが、19歳の時に家出をして1人暮らしを始めました。
お笑い芸人になったきっかけ
実家を出た後、アパートを探し、アルバイト雑誌で見つけた配膳人紹介所に登録してホテルに派遣され、毎日16時間ぐらい休みなく働きました。
『月60万円とか稼いでいたんです。そうすると「お金って余るんだな」と気づきだして。』
子供の頃には漠然と芸能界への憧れがあり、23歳の頃にそのことを思い出し、夜学の舞台芸術学院ミュージカル別科に入学。
やりたかったのは喜劇でしたが、入学後はミュージカルの魅力はハマり、オーディションを受けミュージカルに出演。
あるミュージカルで任されたアドリブがウケたことで「人に笑ってもらう喜び」を知り、1997年4月、27歳の時に舞台芸術学院の同級生とお笑いコンビ・ネギねこ調査隊を結成ました。
「朝倉南ネタ」で38歳の時にブレイク
2001年には単独で『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)の企画「電波少年的15少女漂流記」に出演。
同企画に参加し長期間コンビで活動ができなくなったことがきっかけで、2003年5月にコンビは解散。
33歳からピン芸人として活動を始め、R-1ぐらんぷりで2003年に初の準決勝進出。以降は5回連続で準決勝まで進出しました。
『浅倉南のネタでテレビ番組のオーディションには受からなかったのですが、あるイベントで披露したらめちゃくちゃウケて。ちょうどアラフォーという言葉がはやり始めた時期で、40代間近の私にはラッキーでした』
2008年にフジテレビの『爆笑レッドカーペット』で「朝倉南」のネタをしたことがきっかけで38歳の時にブレイクしました。
いとうあさこの結婚歴や夫、子供
いとうあさこさんに結婚歴はなく独身で夫、子供はいません。
20代前半頃にはアルバイト先で出会った男性と交際。
同棲を始めると男性は仕事を辞めてしまい、男性の抱えた借金のために必死に働きましたが、6年交際後に破局したといいます。
『43歳前後の1年は、「子どもが欲しい」「子どもが欲しい」……だから「結婚したい!」って強く思っていましたね。それがおさまってからは、まるで仙人のように静かになりました(笑)。 』
これまでに交際をした相手は、ほぼ全員の親御さんに会い「結婚するんだろうな」と思ったことあったものの、
『そういえば私、今まで結婚願望が湧いたこと、1回もなかったな』
とも話しています。
30歳の頃から10年くらい一緒暮らした男性の親族とはメールを交換したほど仲が良かったそうですが、タイミングがズレて別れてしまったそうです。
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