澤部佑の結婚はいつ?嫁はどんな人?子供は何人?高校などの学歴は?

人気実力派芸人の澤部佑さん。

結婚しているようですが、いつ頃結婚して嫁はどんな人なんでしょう?

子供もいるようですが、子供は何人?

澤部佑さんの高校などの学歴は?

今回は澤部佑さんをリサーチしてみました。

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澤部佑さんの結婚はいつ?嫁は?

澤部佑さんが結婚したのは2013年12月3日。

27歳時の結婚でした。

嫁の名前は暁子さん

1990年生まれで澤部佑さんの4歳年下。

嫁の暁子さんの旧姓は五十嵐暁子さん。

暁子さんの父親は五十嵐元素一さんで当時、クリーニング業界最大手の白洋社の社長。

現在は会長になっています。

暁子さんは白洋社の社長令嬢だったのです。

白洋社といえば1906年創業でドライクリーニングを日本で初めて成功させた会社。

2016年の情報では従業員は2000人以上、売上高も480億円以上の最大手です。

そんなお嬢様と澤部佑さんの馴れ初めは、澤部佑さんの行きつけの居酒屋で出会ったこと。

澤部佑さんがいつものように常連のオジサンたちと飲んでいたところに、女性一人でやってきたのがアパレル関係の仕事をしてた暁子さん。

そこで澤部佑さんの暁子さんは意気投合。

連絡先を交換し、その後、嫁の暁子さんがから、

『好きって言ったら迷惑ですか?』

とメールがきたんだそうです。

なんと、アプローチをしたのは嫁の暁子さんからだったのです。

澤部佑さんは元々女性と話すの苦手だったそうですが、そんな澤部佑さんにアドバイスしていたのが、「ピカルの定理」での共演したのがきっかけでよくしてもらっていた、「ピース」の綾部祐二さんでした。

『素敵な女性がいたとして、アドレスを聞くとしよう。アドレスを聞くということは、その人に興味を持っているということ。自分に興味を持たれるということに、基本的に“イヤ”という感情は起こらない。だから、声をかけることは、何も悪いことじゃない。』

とアドバイスしていたそうです。

もし、断られたら引けばいいだけだから、動いたほうがいいともいっていたんだとか。

その言葉は綾部佑さんの中で、

『意識改革』

だったと話しています。

そのアドバイスがあったことで、嫁の暁子さんの連絡先を交換することができたのです。

澤部佑さんと嫁の暁子さんの交際は順調に進み、暁子さんが子供を授かります。

そして、澤部佑さん結婚を決めました。

プロポーズは自宅で風呂上りに髪をタオルで拭きながら、

『どうする? 結婚する?』

といったそうです。

交際期間10ヶ月での結婚でした。

結婚の保証人は相方の岩井勇気さんだそうです。

授かり婚だったこともあり、暁子さんの両親に会うのはめちゃくちゃビビッたそうです。

結婚した時、嫁の暁子さんは妊娠5ヶ月でした。
嫁の暁子さんのメディアには出ていませんが、結婚後、澤部佑さんが出演したバラエティ番組で出演者にのみに写真を見せたところ、共演者のローラさんは、

『えー! かわいい!』

『上戸彩ちゃんと紗栄子ちゃんをミックスさせた感じ!』

とコメントし、澤部佑さんも「上戸彩似」と認めていました。

澤部佑の子供は何人?

澤部佑さんに子供は2人。(2020年現在)

子供は2人とも娘で、

2014年5月14日に長女。

2016年4月27日に次女。

た誕生しています。

澤部佑さんの娘は2020年7月現在幼稚園に通っていて、その幼稚園は2009年に他界したロックミュージシャンの忌野清志郎さんの息子も通っていたそうです。

澤部佑さんはラジオで娘が通う幼稚園で妻が謝恩会の役員になったと話し、そこで参考のために過去の謝恩会のもようを収めたDVDを視聴したそうで、忌野清志郎さんは生前、息子の通った幼稚園の謝恩会でライブを行っていてそれも本格的なライブで放心状態になるほど驚いたそうです。

2020年3月には、

テレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演したジャングルポケット大田さんの嫁の近藤千尋さんが澤部佑さんの子供とおなじ学校に通っていると明かし、

「ママチャリ乗って、こんな忙しいのに送り迎えして」

と澤部佑さんの父親の姿を明かしています。

澤部佑の高校・学歴・経歴

澤部佑さんは1986年5月19日生まれ。

埼玉県上尾市出身。

相方の岩井勇気さんは幼稚園から中学校まで同級生。

小学5年のとき、同じクラスになって仲良くなったそうです。

小学校から中学校までバスケットボールをやっていいて中学のときはエース。

高校は大宮東高校

大宮東高校はさいたま市にある県立高校。

偏差値は48

元々は澤部佑さんは保育士になろうと思っていたそうです。

お笑いの道に誘ったのは中学の同級生。

澤部佑さんいわく

「ムチャクチャおもしろかった。」

そうで、彼が言うんだったらお笑いもいいかもと思わせるほどおもしろい人だったそう。

澤部佑さんと岩井勇気さんを誘いますが、その後、同級生は自身に別の目標が出来て脱退。

M1グランプリを目指して、2005年1月にコンビ『ハライチ』を結成。

同年3月にワタナベコメディスクールの『お笑いメジャーリーグ』に出場し、高校生の部でグランプリを受賞。

ワタナベコメディスクールの2期生として特待生入学。

特待生は学費が一部免除になるようです。

2006年3月卒業し、4月からワタナベエンターテインメントに所属。

2009年のM-1グランプリにて決勝に初進出。

結果は5位。

これで注目され、

「ピカルの定理」のレギュラーにも抜擢。

ハライチは2017年までM1グランプりに参加しましたが、最高は2009年の5位。

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