元大相撲力士で最高位は東関脇の豊ノ島さん。
嫁は歌手の竹内沙帆さんとい方ですが、馴れ初めは?
子供は娘が1人いるようです。
この記事では豊ノ島さんの嫁との馴れ初めなどについてリサーチしています。
豊ノ島の嫁は歌手の竹内沙帆
竹内沙帆さんは富山県出身で、豊ノ島さんの2歳年上。
中学時代は柔道部で、富山県大会で優勝の経験もある有段者。
1998年、高校2年生の時にNHKで放送された『おーい、ニッポン 今日はとことん富山県』の番組内で、47都道府県それぞれの歌を秋元康さんがプロデュースして、その歌をオーディションで選ばれた地元住民が歌うという企画に母親の勧めで応募。
オーディションではDREAMS COME TRUEの『未来予想図II』を歌い、合格者3名に選出。
富山代表3人組ユニット『きときと』として『ヒスイ海岸』を発売しました。
2000年に同志社女子大学に進学後、1年生の時に「ミス京都コンテスト」でグランプリを獲得。
2001年に「ミス京都」の活動の一環としてバラエティ番組『ワンダフル』(TBS)にゲスト出演した際に、振袖姿でピアノの弾き語りを披露したことがきっかけで、女性ボーカルユニット『PACHAMAMA』の新メンバーとして加入。
2003年にユニット解散後はソロ活動を始め、ライブ活動を開始。
2006年に杉元砂八子(Sayako)さんと出会い、2007年6月にSayakoとのユニットで初ライブ。
同年8月にラサール石井さんがユニット名を『唄奴(うたやっこ)』と命名。
2008年11月20日に唄奴としてシングル『ヒスイ海岸』を発売しインディーズデビュー。
着うた週間ダウンロードランキング第9位にランクインしました。
2011年頃まで活動していたようです。
豊ノ島と嫁の竹内沙帆の馴れ初め
豊ノ島さんと竹内沙帆さんは2009年5月に共通の友人の誕生会で出会いました。
豊ノ島さんは一目惚れををして七夕の日に「願い事を叶えてください」と交際を申し込むと、沙帆さんは「7月場所で2ケタ勝利で、三賞受賞」を交際する条件としたそうです。
7月場所では条件を達成することはできなかったものの、11月場所で11勝を上げ技能賞を受賞し交際をスタート。
2011年2月に結婚しました。
豊ノ島の子供は娘が1人
豊ノ島さんの娘は結婚の翌年の2012年7月に誕生しています。
2024年現在はでは小学6年生になっています。
豊ノ島の経歴
高知県宿毛市出身。本名は梶原大樹(かじわら だいき)。
姉、妹、弟がいる4人きょうだいの2番目。
実家は豆腐店の「梶原食品」を経営。
幼少期から豆乳を飲んで育ちました。
小学1年生の時にサッカーと並行して相撲を始め、小学生から毎朝特大のおにぎり6個食べるなど体を大きくすることを心がけ、宿毛市立片島中学校3年生の時に全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人・団体共に優勝。
高知県立宿毛高校時代には宮城国体の県選抜チームの1人として団体優勝に貢献。
父親が講演会長をしていた縁で、2002年に時津風部屋に入門。
2004年5月場所に新十両へ昇進。
同年の9月場所には新入幕。
その後、2度十両に陥落するも、2005年11月場所以降はン幕内に定着。
2007年1月場所では優勝争いに絡む活躍を見せて初の敢闘賞と技能賞を受賞。
2012年5月場所には自己最高位の東関脇に昇進。
2016年7月場所は東前頭11枚目の地位でしたが、稽古中にアキレス腱を断絶したため、休場が続き、2016年11月場所に幕下に陥落。
2018年11月場所に十両に復帰。
2019年3月場所には西前頭に昇進しましたが、十両に陥落後、2020年3月名所に幕下に陥落。
同年の7月に引退しました。
引退後、2023年1月に日本相撲協会を退職。
個人事務所を設立しタレントに転身しました。
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