大阪府出身のフィギュアスケート選手・織田信成さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
フィギュアスケート選手時代の実績は?
結婚や妻は?
子供は何人?
今回はフィギュアスケート選手の織田信成さんについてリサーチしてみました。
織田信成の学歴・生い立ち・経歴
名前 織田信成
生年月日 164cm
出身 大阪府
身長 164cm
血液型 A型
所属 トラロックエンターテインメント
小学校・高槻市立郡家小学校
中学校・高槻市立第二中学校
高校・・阿武野高校
大学・・関西大学文学部
大阪府高槻市出身。
父親は会社経営者。
母親は元フィギュアスケート選手で、関西大学アイススケート部コーチ。
兄と姉がいる3人兄弟の末っ子。
小学校は高槻市立郡家小学校、中学校は高槻市立第二中学校を卒業。
母親がフィギュアスケートのコーチをやっていたこともあり、物心ついた時からスケートリンクに慣れ親しみ、小学生になってから本格的なフィギュアスケートの練習を始めました。
『嫌いでした(笑)』
当時、織田信成さんにとってフィギュアスケートは、
『させられている』
ものだったそうです。
転機は中学2年生の時。
階段から転げ落ちて左腕を骨折し、しばらくフィギュアスケートから離れた際に、気づけばフィギュアスケートがやりたくてたまらなくなっていたといい、結局フィギュアスケートが好きなんだなと、はじめて気付いたそうです。
高校は阿武野高校に進学。
阿武野高校は大阪府高槻市氷室町にある男女共学の府立高校。
現在の偏差値は43。
高校3年生の時にカナダ留学。
大学は関西大学文学部英語英文学専修に進学。
2011年3月に卒業しました。
織田信成のフィギュアスケート選手時代の実績は?
小学生の時は1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。
当時はトップクラスをいう成績ではありませんでした。
2004-2005シーズンの17歳の時、母親の紹介でカナダに渡り、初めのうちは英語も分からず苦しみましたが、カナダ人選手らとの練習を通じて成長し、世界ジュニア選手権で優勝。
同大会の男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の髙橋大輔さん以来2人目でした。
2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦し、グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝。
2006-2007シーズンは。2年連続で進んだグランプリファイナルでは銅メダルを獲得。
世界選手権では総合7位。
2008-2009シーズンはNHK杯で優勝、全日本選手権でも優勝。
世界選手権は7位。
翌2010年バンクーバーオリンピックの出場枠を辛うじて確保。
バンクーバーオリンピックでは7位入賞でした。
2013-2014シーズン、2014年のソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権では、総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場は逃しました。
同年に引退を発表。
当時、26歳でした。
織田信成の結婚や妻は?
織田信成さんが結婚したのは2010年4月。
23歳の時でした。
妻は中学の同級生の茉由さん。
出会ったのは中学1年生の時で、席が隣同士になった茉由さんを初めて見た時に、
『この人と結婚する!』
と思ったそうです。
以降、6年間片思いをしていたそうで、高校は違いましたが、高校3年生の時に茉由さんと初デートに誘い、後日メールで告白し交際がスタート。
交際期間約5年を経て結婚しました。
織田信成の子供は何人?
織田信成さんの子供は4人。
子供は息子が3人と娘が1人です。
長男は2010年10月
次男は2013年1月
三男は2016年11月
長女は2019年10月
に誕生しました。
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