お笑いコンビ千原兄弟のボケを担当している千原ジュニアさん。
結婚していますが、嫁はどんな人なんでしょうか?
子供は息子?
千原ジュニアさんのバイク事故とは?
高校などの学歴や経歴は?
今回は千原ジュニアさんについてリサーチしてみました。
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千原ジュニアの嫁は?
千原ジュニアさんが結婚したのは2015年9月。
嫁は一般女性で年齢は18歳年下。
千原ジュニアさんが41歳、嫁が23歳のときでした。
千原ジュニアさんと嫁との出会い・馴れ初めはの羽田空港。
2015年春、千原ジュニアさんは羽田空港のお土産店で働いていた嫁に一目惚れ。
千原ジュニアさんは、地方へロケにいくたびに店を訪れ、嫁と話をするようになり、食事へ誘うことに成功して交際に発展。
千原ジュニアさんが嫁と結婚を決めたのは金銭感覚も理由のひとつだったようです。
結婚前、デートの帰り際に千原ジュニアさんがタクシー代を渡し、後日会うと、嫁は
『ありがとうございました』
と領収書とおつりの入った封筒を渡してきたそうです。
そんな経験が無かった、千原ジュニアさんは衝撃的だったといいます。
プロポーズは食事のあとのBARで、唐突に、
『結婚する?』
と言ったそうです。
すると嫁は、
『よろしくお願いします』
と返事をしたといいます。
交際から結婚まで、嫁と5回ほどしか会っていないとも話しています。
婚姻届は旅行先の沖縄県宮古島市役所で出し、交際期間半年での結婚でした。
千原ジュニアの子供は息子?
千原ジュニアの子供は息子が1人。(2020年現在)
結婚から2年3ヶ月後の2017年12月に長男が誕生しました。
千原ジュニアさんは嫁の妊娠について公表せず、毎月『千原兄弟』で行っているトークライブでサプライズ報告しまし、赤ちゃんの手の写真を公開。
仕事で出産には立ち会えなかったことなども話したそうです。
千原ジュニアのバイク事故とは?
千原ジュニアさんがバイク事故を起こしたのは2001年3月26日、25歳の時。
この日の夜、バイクで自宅に帰る途中、タクシーを衝突寸前になりました。
その瞬間、千原ジュニアさんの頭には『愛車を傷つけたくない』との思いがよぎっていまい、バイクを倒すことを躊躇し、ハンドルを切って避けたところ、猛スピードのままガードレールに激突。
顔面を柱に激しく打ち付け、前頭葉、鼻、上顎、下顎、頬骨、眼窩底骨を骨折。
おでこの神経は切断され、眼窩底骨を骨折したことで眼球もとび出ていたといいます。
千原ジュニアさんはガードレール衝突寸前に意識を消失し、気付いたときには路上に自分の血が大量に流れ出し、自力で立ち上がろうするも身は動かず再び意識を消失し、次に気が付いた時には手術台の上だったそうです。
手術が終わり意識を取り戻し、変わり果ては自分の顔を見たとき、芸人として表舞台に立つことを諦め作家になろうと考えたとます。
しかし、順調に回復し事故から136日後にトークライブで芸人に復帰。
事故後の後遺症で涙腺が狭窄してしまい、鼻水が涙として出る事があったそうですが、後に手術で克服しています。
千原ジュニアの高校などの学歴や経歴
千原ジュニアさんは1974年3月30日生まれ。
京都府福知山市出身。
祖父は農家せ父親は一級建築士。
兄弟は兄と妹、4歳年上の兄は相方の千原せいじさん、妹は5歳下。
子供の頃は人見知りが激しく、小学生の頃はよく友達と悪さをしていて、そのため、友達の家に遊びに行くと、親がでてきて、『息子はいない』と居留守を使われることもあったといいます。
中学は京都共栄学園中学校を受験し合格。
京都共栄学園中学は京都府福知山市にある男女共学の私立中高一貫校。
千原ジュニアさんが在籍していた当時の京都共栄学園中学は現在よりも進学校だったようでしす。
千原ジュニアさん3ヶ月必死に勉強して合格。
本人には合格は目標の達成でありゴールでしたが、実際には中学生活のスタートであり、入学してみると周りはすでに高校どころか、大学受験に向けて猛勉強、中学受験の方勉強の反動からか、そんな進学校の雰囲気に合わず、友達は一切出来なかったそうです。
千原ジュニアさんは中学3年の時に学校に行かなくなり、引きこもりに。
当時は『引きこもり』という言葉はまだなく、『登校拒否児』と呼ばれていたそうです。
家では1日中パジャマ姿で、自分の部屋でテレビを見たり、本を読んだり、漫画を読んだりしていたといいます。
高校は京都共栄学園高校
高校はエスカレーター式で内部進学しましたがすぐに行かなくなり、後に退学。
千原ジュニアが芸人になったきっかけ
千原ジュニアさんがお笑い芸人になったきっかけは兄の千原せいじさん。
1989年、高校1年の15歳の時に、先にNSC似入学していた4歳上の兄・千原せいじさんに誘われ、NSC8期生として入学し、お笑いコンビ『千原兄弟』を結成。
『千原兄弟』の名付け親は吉本興業の女性広報社員。
お笑い新人コンテストのエントリーシートに記入する際、『千原兄弟でええやん』と発言したことがきっかけ。
兄の千原せいじさんに
『明後日までにネタつくってこい』
と言われ、言われたとおりにネタを書き、当日にそのネタを生徒の前で披露。
千原ジュニアさんの作ったネタは大受けし爆笑をとったことで、それまではお笑い芸人になるつもりは無かった千原ジュニアさんでしたが、
『俺にはこれしかない、この世界で闘っていくんや』
と決意し高校は2ヶ月で退学しました。
千原ジュニアさんは当時のことについて、
『15歳なんてめちゃくちゃ子供じゃないですか。その子供を相方に誘うっていう、せいじの渾身の大ボケやと思いますわ』
と話しています。
FUJIWARAは同期。
心斎橋筋2丁目劇場でシュールなコントで頭角を表し、1994年、20歳のときには、
第15回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
第29回上方漫才大賞 新人賞
を受賞。
1995年にはお笑いライブで異例の大阪城ホール公演を開催し、満員にしています。
1996年に東京進出。
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