お笑いコンビ・ピンクの電話のボケ担当で甲高い声が特徴の清水よし子さんの経歴や学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
今回はピンクの電話の清水よし子さんをリサーチしてみました。
清水よし子の学歴・経歴
名前 清水よし子
生年月日 1958年6月29日
出身 大阪府
身長 163cm
血液型 A型
所属 石井光三オフィス
実家は神戸。幼少期は人見知りが激しく、外ではいつも母親の後ろに隠れていました。
小学生の時には身長が多きく、学年で2番目でした。
中学では陸上部に入部。
100m、走り幅跳び、砲丸投げの合計得点で順位を競う三種という競技をやり、大阪で5位に入賞した経験があるといいます。
高校は大阪信愛女学院高校に進学。
大阪府大阪市城東区にある私立の女子校で、現在の偏差値は48~57。
高校時代は演劇部に所属していました。
高校卒業後は大阪信愛女学院短期大学に進学。
大阪府大阪市城東区古市に本部があった私立短期大学で、2024年に閉学しています。
短大卒業は上京して就職し、経理を担当していました。
お笑い芸人になったきっかけ
清水さんは学生時代から女優志望で、短大卒業後は両親の反対を押し切って上京。
経理ととして働きながら女優を目指し、「劇団俳小」を経て、1984年に石井光三さんとント・レオナルドのレオナルド熊さんが旗揚げしたコメディ劇団「劇団七曜日」のオーディションに合格し1期生として入団。
劇団にはコント赤信号、近藤芳正さん、相方になる竹内都子さんらが所属していました。
『君ら、漫才やらへんか?10年、舞台で一生懸命、頑張ってもな、ドラマでセリフのある役をもらえるとは限らへん。けどな、お笑い番組やったら(オーディションを通れば)6分間、主役でテレビに出られるぞ』
自分がお笑いをやるなどとは考えたことはなく、戸惑いもありましたが石井さんの勧めで1986年に同じ劇団の竹内都子さん、田中尚子さんと3人でコントグループ『大阪シスターズ』を結成しました。
ピンクの電話を結成し人気に
『大阪シスターズ』を結成ご間もなく田中さんが脱退。コンビになり稽古場に置いてあった10円玉を入れて通話ができる、ピンク色の電話を見た渡辺正行さんの命名で『ピンクの電話』に改名しました。
渋谷のライブハウス「La.mama(ラママ)」で毎月開催されていた「La.mama新人コント大会」で経験を積んだ後、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)にすると9週勝ち抜き。
「デブと痩せの凸凹コンビ」として人気となり、清水さんの独特の甲高い声はお茶の間に広く浸透しました。
番組を見ていたフジテレビのプロデューサーに声をかけられ『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)に出演。
1988年には深夜のコント番組『笑いの殿堂』(フジテレビ)でウッチャンナンチャン、爆笑問題らと共にメインキャストとして出演。
クイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)では毎月2回おペースで海外ロケに行き、当時はバブル期で航空会社のタイアップもあったので、全員がビジネスクラスだたといいます。
コンビは解散していませんが、お互いに結婚し清水さんは母親であることもあり、現在は個別の活動がメインになっています。
2017年3月21日には、コンビ結成30周年を迎え、その記念として「渋谷La.mama」で久々にコントを披露しました。
結婚歴や夫、子供
清水よし子さんが結婚したのは1992年6月、34歳の時でした。
夫は出版社「第一出版社」の社長を務める実業家の浅田正行さん。
浅田さんの出版社は当時、年商10億円と言われ、結婚時は「玉の輿」と話題になりました。
子供は娘が1人で、1995年頃に誕生にしました。
『大学四年で就活し就職が決まり、そして、シンクロナイズドスケーティングは引退しました。』
2017年には娘の就職が決まったことブログで明かしています。
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