元漫画家で演芸番組『笑点』に最長の55年出演した落語家の林家木久扇さんの学歴や経歴は?
漫画家や落語家になったきっかけは?
妻や子供は?
今回は落語家の林家木久扇さんをリサーチしてみました。
林家木久扇の学歴・生い立ち・経歴
名前 林家木久扇
生年月日 1937年10月19日
出身 東京都中央区
身長 162cm
血液型 A型
所属 トヨタアート
本名は豊田 洋(とよた ひろし)。実家は雑貨の卸問屋で、4人兄弟の長男として誕生しました。
幼少期の生活は裕福でしたが、番頭が徴兵され問屋は開店休業状態になり、その後、東京大空襲で全焼し廃業しました。
小学校は中央区立久松小学校に入学しましたが、間もなく青森県八戸市に疎開し、戸市立柏崎小学校に転校。
転校先ではガキ大将にいじめられましが、絵が得意で軍艦や戦闘機の絵を描いてあげると、いじめはなくなったそうです。
小学2年生の時に終戦を迎えると東京に戻り、杉並区立第三桃井小学校転校。
10歳の時に両親が離婚。その後は母親に引き取られて母子家庭で育ちました。
小学4年生頃からは新聞配達のアルバイトや空き缶集めでお金を稼いで家計を助け、杉並区立荻窪中学校に入学後も続けました。
高校は中野工業高校・食品化学科に進学。
東京都中野区野方にある男女共学の都立高校で、2023年に改称され校名は中野工科高校になっています。
現在の設置学科は総合技術科で、偏差値は38。
高校時代には映画演劇部を設立。周辺の映画館と交渉し、映画演劇部の部員は無料、中野工業高校の生徒は割引してもらえるようになったといい、その活動は当時の新聞でも取材され取り上げられました。
高校卒業後には、戦時中に食糧難だったため、食べ物を扱う森永乳業に就職しました。
林家木久扇が漫画家になったきっかけ
森永乳業に就職後、勤務先が牛乳工場で寒く、とにかく重労働で「辞めたい」と思っていた頃に出版社に入社した友達に会いうと、『サザエさん』の作者の長谷川町子さんの4コマ漫画の原稿料が3万円だと聞いたといいます。
森永乳業の初任給は5500円で当時としては悪くなく、かけそば1杯が18円の時代だったため驚いていると、木久扇さんが絵が上手いことを知っていた友達は、担当している漫画家の清水崑さんのアシスタントになりたいなら紹介すると言ってくれ、森永乳業は3ヶ月で退職。
清水崑さんのアシスタントを務め、2年後の1958年には『週刊漫画サンデー』に『とりもの太平記』が掲載されて漫画家としてプロデビュー。原稿料は1枚5000円でした。
林家木久扇が落語家かになったきっかけ
木久扇さんは清水崑さんのアシスタントを務めながら、よく渥美清さんや片岡千恵蔵さんなどの声のものまねをしていたといいます。
アシスタントになった4年目に、清水崑さんに、
『お前は面白いやつだなー。落語やってみたらどうだい?』
と言われ、知り合いだった三代目桂三木助師匠に紹介状を書いてくれたそうです。
木久扇さん小学生の頃から落語は好きでしたが、落語のことはあまり知らず、
『漫画も描けて落語もできたら楽しそうだな』
と軽い気持ち三木助師匠を訪ねて入門。
入門後も清水崑さんはイラストの仕事などを回してくれていたといいます。
1960年に入門後、「木久男」の前座名をもらいましたが、わずか5カ月で三木助師匠は他界してしまい、八代目林家正蔵一門へ移籍し、「木久蔵」に改名。
1969年11月、32歳の時に『笑点』のレギュラーメンバーに加入しました。
2023年に2024年3月で卒業することを発表。出演期間は桂歌丸さんの50年を上回る、55年でした。
林家木久扇の妻や子供
林家木久扇さんが結婚したのは1967年、29歳の時でした。
妻に名前は武津子さん。講談師の本牧亭席亭さんの妹でした。
結婚式の日には、知り合いの結婚式の司会をブッキングしてしまい、自身の結婚式の新郎席には代理人の落語家が座ったといいます。
子供は娘と息子の2人で、長女の佐久子さんと長男の宏寿さんが誕生しています。
娘の佐久子さんは木久扇さんのマネージャーを担当しているといい、息子の宏寿さんは落語家です。
1995年10月に木久扇さんに弟子入りし、前座名「きくお」をもらい、2007年9月には二代目林家木久蔵を襲名しました。
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