元バレリーナで女優に転向した床嶋佳子さんの学歴や経歴は?
バレエをやめて女優に転向したきっかけは?
結婚歴や夫との馴れ初め、子供は?
今回は女優の床嶋佳子さんをリサーチしてみました。
床嶋佳子の学歴・生い立ち・経歴
名前 床嶋佳子
生年月日 1964年9月23日
出身 福岡県福岡市
身長 162cm
血液型 A型
所属 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
父親、母親、兄の4人家族。父親は公務員でした。
6歳の時にクラシックバレエを習い始め、レッスンまではバスと電車を乗り継いで1人で1時間かかり、毎回駅まで母親が送り迎えをしてれ、父親はレッスン料を工面するために、大好きだったゴルフもやめたといいます。
小学校は福岡市立香住丘小学校、中学校は福岡市立香椎第二中学校を卒業。
小学校、中学校時代もバレエ一筋で、10歳の時にはソ連(現・ロシア)にバレエ留学を経験、13歳の時にはブルガリアで開催された、国際的なバレエコンクールの中では最も歴史が古く、モスクワ国際バレエコンクール、ジャクソン国際コンクールと共に主要なバレエコンクールの一つ、ヴァルナ国際バレエコンクール・ジュニアの部に出場しました。
高校は精華女子高校に進学。福岡県福岡市博多区住吉にある私立高校で、設置学科は普通科と看護科、偏差値は47。
高校には体育祭で学ラン姿で応援団長を務め、翌日からはファンレターをもらったり、告白されたりしたそうです。
1983年に高校卒業後は、大学などには進学せずバレエに専念。上京し都内の松山バレエ団に入団しました。翌年の1984年に小川亜矢子バレエスタジオに移籍し、1986年には第4回全日本バレエ・コンクールでシニア部門第1位になり、文部大臣賞を受賞しました。
床嶋佳子がバレエをやめて女優に転向したきっかけは?
高校卒業後は、クラシックバレエのプロダンサーとして活動していましたが、
『日本ではプレイヤーのプロとして食べていくのは難しい』
と考え、海外での活動を考えていた1988年、23歳の時に日・米・露合作ミュージカル『12ヶ月のニーナ』で主役に抜擢。
その後もバレエを続けましたが、ミュージカルに出演たことがきっかけで1991年、27歳の時に断腸の思いでバレエをやめ、女優に転身することを決意しました。
床嶋佳子 女優デビュー後
1991年に舞台『ゼアミ』、『女系家族』に出演し、同年7月から放送されたフジテレビ系ドラマ『ヴァンサンカン・結婚』の須賀今日子 役で本格的に女優デビューし、同年にP&GのCMにも出演。
映画には2000年公開の『博多ムービー ちんちろまい』で初出演しました。
以降は映画の出演は少なく、ドラマを中心に出演。
2時間ドラマの出演が多く、2003年から2005年に日本テレビの火曜サスペンス劇場で放送されたされた『検事・霞夕子』シリーズなどで主演を務め、2005年12月から放送されたTBSの昼ドラ『ママはバレリーナ』でも主演を務めました。以降はバイプレーヤーとして活躍しています。
床嶋佳子の結婚歴や夫との馴れ初め、子供は?
床嶋佳子さんの結婚歴は1回で、結婚したのは2020年9月、55歳の時でした。
夫は医師の男性で年上。通っていたスポーツジムで出会いました。
馴れ初めは同じジムの共通の知人の紹介で、床嶋さんが2019年8月にフジテレビの『アウト×デラックス』に「結婚したい54歳女優」として出演し
『寂しい! 誰かに抱きしめてほしい』
と本音をぶっちゃたところ、それを見たジムの知人が医師の男性と引き合わせてくれたそうです。
夫は8年間に妻を病気亡くし再婚でした。
床嶋さんが夫を初めて見たのはジムのプールサイトで、
『わぁ、素敵。好きなタイプだわ』
と一目惚れ。初めての食事会でも積極的に話す夫に社交的な印象を持ち、妻を亡くしたことも聞いたといいます。
それから1週間後の2度目のデートで、夫から、
『あなたと結婚したい』
とプロポーズを受けましたが、その時は内心はとても驚いていましたが、お互いのことをまだ知らなかったため、
『あぁ~、そうですか』
との返事しただけでした。
その後、「奥様のお墓にご挨拶をしてからおつきあいを始めたい」とお願いし、墓参りをした後に交際をスタート。
交際が始まってからは、お互い生活のペースが出来上がっていたため、小さいことでは、水の使い方やゴミ出しでもめたりしたこともありましたが、乗り越えて交際期間8ヶ月で結婚しました。
2人には子供はいません。
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