熊本県出身のタレント・井上晴美さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
現在は熊本に移住?
今回はタレントの井上晴美さんをリサーチしてみました。
井上晴美の学歴・生い立ち・経歴
名前 井上晴美
生年月日 1974年9月23日
出身 熊本県熊本市
身長 164cm
血液型 B型
所属 スピーディ
小学校・熊本市立若葉小学校
中学校・熊本市立東野中学校
高校・・新宿山吹高校
大学・・大学には進学していません
本名は北村 仁絵(きたむら きみえ)。
実家は農家で、周辺は田んぼや畑が広がっていている田舎で、近所にはコンビニもなかったそうです。
父親、母親、姉、弟の5人家族すが、二世帯住で祖父母も暮らしていて、食事は一緒で大家族でした。
幼少期から水泳を始め、小学5年生の時に小学生九州ジュニアオリンピックで優勝。
中学校は熊本市立東野中学校を卒業。
中学時代もスイミングスクールに通っていて、水泳に打ち込み、帰りは遅かったといいます。
中学在学中から芸能活動を始めました。
高校は新宿山吹高校に進学。
東京都新宿区山吹町ある男女共学の都立高校。
高校時代は芸能活動をしていましたが、水泳も続けていて、インターハイに出場した経験もあるといいます。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
井上晴美がデビューしたきっかけは?
子供の頃から中山美穂さんなどのアイドルに憧れ、中学時代から地元熊本県の芸能事務所に所属してモデルの仕事を始めました。
中学卒業後に上京し、テレビ朝日系『アイドル共和国』のオーディション企画で『桜っ子クラブさくら組』のメンパーとして、1991年、16歳の時にデビューしました。
井上晴美 デビュー後
桜っ子クラブさくら組としては1994年まで活動。
1991年にTBS系『東京ラブホテルストーリー』でドラマデビュー、1995年12月公開の映画『82分署』で映画デビューし、主演を務めました。
グラビアアイドルとしても活躍し、一時は自慢のバストに1億円の保険を掛けていたことでも話題になり、1999年、24歳の時には幻冬舎文庫キャンペーンで、スキンヘッド姿でヌードを披露。
同年にヘアヌード写真集『LIVE』も出版しました。
2004年にはカナダに留学し、帰国後は女優業を中心に活動しています。
井上晴美の結婚歴や夫は?
井上晴美さんが結婚したのは2005年9月、30歳の時でした。
夫はカナダ留学で出会った、同い年のメキシコ人男性。
当初は本とカナダを行ったり来たりする生活を続けていましたが、しばらくすると夫も一緒に日本で暮らすことになったそうです。
夫は日本に移り住むことにはまったく抵抗がなかったといいます。
井上晴美の子供は何人?
井上晴美さんの子供は息子が1人と娘が2人の3人。
2007年6月に長男、2009年11月に長女、2011年に次女が誕生しています。
現在は熊本に移住
井上晴美さんは長男の誕生を機に、長野県に家族で移住しました。
移住は夫の意向で、夫は『自然の中で、子どもを育てたい』という考えがずっとあり、『子どもができたら、田舎で暮らす』とと常々言っていっていたそうです。
井上晴美さんは仕事があったため、
『じゃあ、私の仕事はどうするの?』
とたずねると、
『それは君の話でしょ。子どものことを考えての話じゃないよね』
と返され、最初は納得しないまま長野県の田舎に移住したそうですが、後に仕事の時に東京に行けばいいんじゃないかと考えるようになり、畑仕事をするようになると毎日がすごく楽しくなったそうです。
3人目の子供の出産のため地元熊本に里帰りし、しばらく実家に過ごしていると地元の熊本への愛着が沸いて、そのまま熊本に移住。
2016年の熊本地震では自宅が全壊、災害時に備えて非常食や防災グッズを用意していましたが、その部屋が崩れてしまったため取り出すことが出来なかったといいます。
念のために車の中にも水や非常食、子供の着替えを用意していたため、数日は持ったそうです。
当時、子供は4歳、6歳、8歳で避難所に行けばみんなストレスがある中、子供たちが騒いで注意されると子供たちにストレスになると思い、避難所には行かず車中泊やテントでの生活を選択したといいます。
その後は生活を再建し、2023年8月のインタビューでは現在の熊本で生活していると話しています。
夜9時に寝て、朝は日の出と共に起床する生活で、熊本でも家庭菜園を楽しみ、鶏の飼育もしているといいます。
コメント