東京都出身のタレント・黒柳徹子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
今回はタレントの黒柳徹子さんについてリサーチしてみました。
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黒柳徹子の学歴・生い立ち・経歴
名前 黒柳徹子
生年月日 1933年8月9日
出身 東京都
身長 163cm
血液型 A型
所属 吉田名保美事務所
小学校・トモエ学園
中学校・香蘭女学校
高校・・香蘭女学校
大学・・東京音楽大学声楽科
東京都港区乃木坂出身。
父親はNHK交響楽団の前身の新交響楽団で、コンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱さん。
母親はエッセイストの黒柳朝さん。
祖父は医者。
弟、妹がいる4人兄弟の長女。
現在の公立小学校にあたる尋常小学校に入学しましたが、小学校にチンドン屋を呼び込んだり、当時はあった机のフタを授業中に百回くらい開け閉めするなど落ち着きがなかったため、問題児とされ3ヶ月で退学。
大人になってから、当時は発達生涯だったことに気付いたそうです。
尋常小学校を退学後はトモエ学園に入学。
トモエ学園は東京都目黒区自由ヶ丘にあった私立の幼稚園・小学校。
トモエ学園では校長先生が、
『きみは本当は、いい子なんだよ』
と言い続けてくれて、学校も楽しかったといいます。
卒業後は、香蘭女学校に進学。
香蘭女学校は、現在の香蘭女学校中等科・高等科。
東京都品川区旗の台にある私立の女子校。
香蘭女学校は現在制度では中学校、高校にあたります。
戦争末期には青森県に疎開。
大学は東洋音楽学校声楽科に進学。
東洋音楽学校声楽科は、現在の東京音楽大学声楽科。
当時はオペラ歌手志望でしたが、歌詞が覚えられなかったために断念。
卒業後は、NHK放送劇団に入団し、女優になりました。
黒柳徹子が芸能界デビューしたきっかけは?
オペラ歌手を諦めた黒柳徹子さんは、東洋音楽学校卒業後、仕事が見つからず苦労したといいます。
結婚して子供に絵本などを読み聞かせるお母さんになろうと考え、母親に相談すると
『新聞に出ているんじゃない』
と言われ、新聞を見てみるとNHKがテレビ俳優を募集している広告を発見。
『NHKに行けば本の読み方を教えてくれる』
と思い応募。
約6000人の応募者の中から第6次までの審査を経て、13人に選ばれ、1953年にNHK放送劇団に5期生として入団しました。
劇団の面接では、
『親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…』
などマイナスな発言を繰り返しましたが採用されたそうです。
黒柳徹子 デビュー後
黒柳徹子さんは1953年1月にNHK放送劇団に入団し、テレビ女優の第一号としてデビューしました。
デビュー当初は、ラジオやテレビの通行人として出演し、テレビの現場を知っていったといいます。
黒柳徹子さんを有名にしたのは、1954年4月に放送が開始されたラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』。
ラジオドラマ史上初めて大人の女性が子供の声を演じたことで、一躍有名になりました。
1958年には『第9回NHK紅白歌合戦』の赤組司会を担当。
1961年には『夢であいましょう』などのバラエティ番組にも出演し、20代後半には週6、7本のレギュラー番組を抱えていたといいます。
舞台出身の俳優との間に演技力の差を感じていたことから、1961年に開設された文学座附属演劇研究所に3期生として入所。
1971年9月から1年間ニューヨークへ留学。
帰国後、日本初の女性司会者によるワイドショーで『徹子の部屋』の前身番組となる『13時ショー』(NETテレビ)の司会に就任。
1976年の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の放送開始。
司会者として活動する一方で、舞台女優としても活動してます。
黒柳徹子の結婚歴や夫、子供は?
黒柳徹子さんに結婚歴はなく独身で、夫、子供はいません。
若い頃は結婚して子供に絵本などを読み聞かせるお母さんになろうと考えてNHKのオーディションを受けたように結婚願望はあり、20代前半には何度もお見合いの話があったそうです。
自身の著書では3度のお見合いをしたことも明かしています。
お見合い相手の中には結婚を考えたいてもいたそうですが、いろいろ考えて込んでしまい、結局は破談になってしまったといいます。
ニューヨークに留学していた38歳の時に知り合った、外国人の男性と交際していたことも明かしており、彼から、
『一緒にパリに来てくれないか』
と言われましたが、仕事と辞めつことが出来なかったため、遠距離恋愛となり、FAXで連絡を取り合い、年に1、2度会いに行く生活を約40年送っていたそうですが、2012年に相手が亡くなったといいます。
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