岩井志麻子の結婚歴や夫は?子供は息子?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ちや韓国

岡山県出身の作家・岩井志麻子さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

結婚歴や夫は?

再婚した夫は韓国人?

子供は息子?

今回は作家の岩井志麻子さんをリサーチしてみました。

岩井志麻子の学歴・生い立ち・経歴

名前   岩井志麻子
生年月日 1964年12月5日
出身   岡山県和気郡和気町
身長   160cm
血液型  A型
所属   ホリプロ

 

岩井志麻子の学歴

高校・・和気閑谷高校

大学・・大学には進学していません

出生名は竹内志麻子。

2歳年下の妹がる2人姉妹。

志麻子の名前は父親が岩下志麻さんのファンだったからだといいます。

小学生の時に読んだ小説でモーテルの存在を知り、大人になったらモーテルに行ってやろうと思い、子供でした遊園地に行きたいということより。憧れが強かったそうです。

小学生の頃は西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんの『新御三家』が人気で、岩井志麻子さんは一番『オス』の匂いを漂わせていた、西城秀樹さんが好きだったと話しています。

高校は和気閑谷高校・商業科を卒業。

和気閑谷高校は、岡山県和気郡和気町尺所にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は40。

商業科は2005年にキャリア探求科に改組されています。

1982年、高校在学中に『第3回小説ジュニア短編小説新人賞』に佳作入選。

高校卒業後は大学などには進学していません。

1986年11月、少女小説『夢みるうさぎとポリスボーイ』で作家デビュー。

21歳の時でした。

この時は本名の竹内志麻子名義でした。

岩井志麻子 作家デビュー後

1999年、岡山桃子名義で投稿した短編小説『ぼっけえ、きょうてえ』が第6回日本ホラー小説大賞を受賞。

翌年の2000年には『ぼっけえ、きょうてえ』で第13回山本周五郎賞を受賞しました。

2002年には『岡山女』で第124回直木賞候補となり、同年、『trai cay〔チャイ・コイ〕』で第2回婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で第9回島清恋愛文学賞を受賞しました。

2000年頃からテレビでコメンテーターなどを務めるようになり、2005年4月からは東京MXの情報番組『5時に夢中』の木曜コメンテーターを務めています。

日本テレビ系の『有吉反省会』ではゲストに呼ばれたことがきっかけで、レギュラー反省人としてヒョウのコスプレをして出演していました。

岩井志麻子の結婚歴や夫は?

岩井志麻子さんの結婚歴は2回

最初の結婚は1988年で、23歳の頃でした。

夫は代々続く地元企業の社長の男性。

夫は岩井志麻子さんの熱烈なファンだったそうです。

離婚したのは結婚11年目の1999年でした。

結婚前はどうすれば小説が売れるか悩んでいましたが、夫に

『そんな苦しまずに、楽しみで書いたらいいじゃない』

と言われ結婚後は、小説はもう楽しい趣味にすればいいんだと思っていたそうですが、いつからか焦りでいっぱいになり、

『私はこんな田舎でくすぶっている人間じゃなかったはずだ!』

みたいなことを思うようになっていったそうです。

そんな生活が10年続いたある日、突然、夫に『離婚してくれ』と言われたそうです。

岩井志麻子さんには晴天の霹靂でしたが、さらに、

『実は長年付き合っている女性がいるんだ』

と告白されたそうで、夫は家に帰ってこなくなったといいます。

岩井志麻子さんは離婚は嫌でしたが、その頃、ちょうど『日本ホラー小説大賞』の最終選考に残ったとの連絡が来て、岩井志麻子さんは、

『わかった。ホラー大賞を獲れたら離婚する』

と宣言。

結果、大賞を受賞し離婚。

離婚を機に上京しました。

岩井志麻子の再婚した夫は韓国人?

2008年、43歳の時に岩井志麻子さんは再婚。

夫は18歳年下の韓国人のジョンウォンさん。

出会いはソウルのカラオケスナックでボーイをしていた夫に、岩井志麻子さんが一目惚れしたそうです。

2010年にタイで結婚式を挙げました。

『浮気し放題。しかも嘘つきでね。私のヒモのくせに独身で金持ちと偽って韓国の女と付き合ってたらしいんですよ』

引用 https://www.daily.co.jp/

その交際相手が夫の携帯電話をチェックし、岩井志麻子さんの存在に気づき、泣きながら電話をしてきたそうです。

岩井志麻子さんは離婚を決意しました。

しかし、夫が戻ってくると嫁と喧嘩した息子が帰ってきたみたいな気持ちになり、離婚はしなかったそうです。

岩井志麻子の子供は息子?

岩井志麻子さんの子供は2人で、娘と息子。

子供は2001年2月に娘が小学4年生で息子が小学1年生と話していて、娘は1991年頃で、息子は1994年頃に誕生しているようです。

離婚後は経済的なことも考え、2人の子供は夫に託して上京しました。

その後、息子とは交流がありますが、娘は高校生の頃から、

『好き勝手をして出て行って、東京で恥ずかしい人になった』

と軽蔑され口を聞いてくれなくなったそうです。

息子は蒼一郎さんという名前で、一時は劇団員として活動していたようです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました