角野卓造の妻は女優で子供は?若い頃や高校、大学などの学歴や経歴

東京都出身の角野卓造さん。

経歴や高校、大学などの学歴は?

若い頃の画像は?

結婚していて妻は女優のようですがどんな人?

子供は息子と娘?

今回は俳優の角野卓造さんをリサーチしてみました。

角野卓造の高校、大学などの学歴・経歴

名前   角野卓造
生年月日 1948年8月10日
出身   東京都
身長   168cm
所属   UAM株式会社

小学校・大阪市立愛日小学校

中学校・千代田区立麹町中学校

高校・学習院高校

大学・学習院大学経済学部

東京生まれ、幼稚園に上がる前の1年間は広島県呉市、小学生の時は大阪市で育ち、中学からは東京移りました。

父親は元広島県会議員でしたが、2期目は選挙にに落ち、その後は大阪で喫茶店をやった後、東京に戻り商事会社を経営しますが、お金を持ち逃げされ潰れ、その後は金融会社に就職してサラリーマンしていたそうです。

中学2年生の時、卒業生を送る予餞会でたまたま芝居をやったところ、学友や担任の先生から『芝居が上手い』と褒められ、演劇部からスカウトされて、3年生から演劇部に所属。

そこから、演劇に夢中になったそうです。

高校は学習院高校に進学。

学習院高校は東京都豊島区にある私立の男子校で、偏差値は68。

高校でも演劇部に所属しました。

大学は学習院大学経済学部に進学し、大学での演劇部に所属。

高校、大学と演劇漬けの毎日を送ったといいます。

角野卓造さんは大学在学中に、『状況劇場』を主催していた唐十郎と出会い、小劇場でのアングラ演劇に目覚め、自分で作ったばかりの学習院大学演劇部のアトリエを状況劇場に稽古場として貸したこともあったそうです

角野卓造 文学座入団~俳優デビュー・若い頃の画像

大学3年生の時に『芝居を続けたい』と劇団に入ることを決意。

文学座と早稲田小劇場に合格しました。

悩んだ末に文学座を選び、1970年に文学在研究所に入所し、翌年の1971年に文学座に入団。

『文学座ならすぐには無理でも、行く行くは芝居だけで食っていけると考えたからです。』

引用 https://www.bookbang.jp/

当時の文学座には演劇界の重鎮や人気女優、ドラマに次々に抜擢される若手俳優もいて映画、テレビ業界とも近く、ここならどうにか食べていけるだろうと思ったそうです。

1972年、『飢餓海峡』で初舞台。

1974年からドラマにも進出。

1979年12月公開の映画『戦国自衛隊』の須賀利重一等海士役で映画デビュー。

角野卓造さんが31歳の時でした。

1990年10月からTBS系ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』が放送開始。

角野卓造さんは中華料理店「幸楽」の主人・小島勇 役で出演しました。

2008年11月、紫綬褒章を受章しました。

角野卓造の妻は女優

角野卓造さんが結婚したのは1978年。

30歳の頃でした。

妻は女優の倉野章子さん。

年齢は1歳年上。

出会い・馴れ初めは文学座。

妻の倉野章子さんは文学座の4期先輩でした。

倉野章子さんは高校卒業後、1967年に文学座研究所に入所。

1969年にで舞台デビューし、同年からドラマ、映画にも出演。

1970年代には多くのドラマに出演していました。

結婚後は子供ができたことで、子育てに専念し、14年間女優を休業。

1995年、14年ぶりに舞台『三人姉妹』で復帰し、同年『野分立つ』で舞台初主演。

同作品で

第30回紀伊國屋演劇賞個人賞

第3回読売演劇大賞優秀女優賞

を受賞しました。

角野卓造の子供は息子と娘?

角野卓造さんを検索すると『息子』と『娘』の関連ワードがでてきますが、子供は息子だけのようです。

息子が生まれたの1981年~1982年頃。

『孫もかわいくて、かわいくて。女の子なんだけどね、俺にそっくりで、かわいそうに(笑)』

引用 http://www.joqr.co.jp/

息子は結婚しており、女の子の孫もいるそうです。

2017年には息子家族は徒歩8分のところに住んでいて、週末末は一緒に食事をして、孫は学校帰りに角野卓造さんの家で宿題をやってから帰っているとインタビューで話しています。

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