川島明の結婚した嫁や子供について、競馬予想や高校などの学歴や経歴

お笑いコンビ・麒麟のボケ担当の川島明さん。

川島明さんは結婚しているようですが、嫁や子供は?

川島明さんの競馬予想とは?

高校などの学歴や経歴は?

今回は麒麟の川島明さんについてリサーチしてみました。

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川島明の嫁や子供

川島明さん結婚したのは2015年9月、36歳のとき。

嫁は神奈川出身の一般女性。

年齢は川島明さんの4歳年下で32歳でした。

川島明さんと嫁の馴れ初め・出会いはナンパ。

結婚する2年前の2013年夏に新宿の居酒屋で後輩芸人と飲んでいたとき、カウンターで一人で飲んでいた嫁をみて『エエ女やなと思った』といいます。

その時、酔っ払いが嫁にからみ出し、チャンスだと思って声をかけたそうです。

プロポーズはラジオに出演した際にリスナーからの質問に、

『それは普通に、結婚しましょう。結婚しようか、みたいなこと』

と答えました。

子供は2017年7月に娘、2020年8月に息子が誕生しています。

川島明の競馬予想

競馬ファンとして知られる川島明さん。

競馬に初めてハマったには高校生のとき。

実家の近くに京都競馬場があり、親戚のおじさんに連れて行って貰ったことがきっかけだといいます。

そこで、『ヒシアマゾン』という馬に出会いレースを見たそうです。

『最後、直線になって、3頭がブワーッて競り合って、ヒシアマゾンがほんまギリギリで勝つんです。それを見たときに、「うわなんやこれ!」って。』

引用 https://magazine.mercari.com/

以降、ずっと競馬にハマっているそうです。

川島明さんは2010年1月から関西テレビの『KEIBA BEAT』に出演。

当初は、準レギュラーコメンテーターでしたが2013年からはMCとして出演。

『KEIBA BEAT』で川島明さんは競馬予想をしていおり、その予想で度々馬券を的中させているそうです。

一部では『カリスマ馬券師』と呼ばれているといいます。

川島明の高校などの学歴や経歴

川島明さんは1979年2月3日生まれ。

京都府宇治市出身。

実家は世界遺産の平等院鳳凰堂の近くだったそうです。

2人兄弟で兄がひとり。

父親の職業はは車の塗装業で、川島明さんはよく塗装の手伝いをしていたそうで、夏休みの自由研究に『ベンツを塗りました』という研究を提出したといいます。

中学は宇治市立宇治中学校

中学時代はサッカー部に所属。

作家部員は13人でしたが、3年間ずっとベンチだったそうです。

高校は京都府立莵道高校

莵道高校は京都府宇治市にある男女共学の府立高校で、偏差値は57

吹奏楽部が有名で、京都アニメーション制作のアニメ『響け!ユーフォニアム』に登場する『北宇治高校』は北宇治高校がモデルです。

川島明さんは高校でもサッカー部に所属。

高校時代の川島明さんは現在と違い、人と話すのが苦手で、ほとんど誰とも話さず、影も薄かったといいます。

高校のスキー合宿では忘れられ、バスが発車して置いて行かれそうになったり、卒業後の同窓会に参加したときには、『あれ、麒麟の川島さんですよね?』と言われ同窓生と気付かれなかったといいます。

高校時代に人とコミュニケーションをとらなかった川島明さんは『このままではダメだ』と思い、元々好きだったお笑い芸人になろうと、吉本総合芸能学院(NSC)に入学します。

費用は工場でリモコンの中の基盤のネジをひたすらしめるアルバイトを半年間やって貯めたそうです。

大阪NSC第20期生として入学。

同期は『アジアン』など。

川島明 『麒麟』結成

1999年10月、20歳のときに同じ20期生の田村裕さんとお笑いコンビ『麒麟』を結成。

コンビ名の由来は当時はコンビ名が漢字だけのコンビが少なかったことと、難しい漢字の方がインパクトがあり覚えてもらえるんじゃないかという考えがあったそうです。

候補は他に、『薔薇』『憂鬱』などがあったそうですが一番ましという理由で『麒麟』になったといいます。

漫才でのつかみは田村裕さんがが『どうも~』と言った後に、川島明さんがマイクに口を近づけて『麒麟です』と低いトーンのええ声で言うのがお決まり。

M-1グランプリは2001年の第1回大会から第6回来会まで出場。

2001年は決勝5位。

2004年、2005年、2006年は3年連続、決勝3位でした。

2007年、相方の田村裕さんが自身の幼少期から川島明さんとの出会いまでを書いた自伝『ホームレス中学生』が200万部のの大ヒット。

田村裕さんは注目され、テレビ番組に呼ばれることが多くなり知名度が大きく上昇。

そのため、川島明さんは『麒麟のじゃない方』と呼ばれるようになります。

相方の僕付き添いでテレビ番組に呼ばれ、ピンマイクつかなかったこともあったといいます。

一時期は吉本に『コンビ別々の仕事にしてくれ』と頼んだそうです。

その後、2010年に川島明さんは『R-1ぐらんぷり2010』で初出場ながら決勝進出したことにより、テレビ朝日系『アメトーーク!』に定期的に呼ばれるようになり、番組でも結果を残し『じゃない方芸人』を脱却しました。

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