古村比呂さんは北海道出身の女優。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
離婚した元夫は俳優の布施博さんですが離婚理由は?
子供は息子で何人?
がんのがんのステージや再発の経過は?
今回は女優の古村比呂さんについてリサーチしてみました。
目次
古村比呂の学歴・生い立ち・経歴
名前 古村比呂
生年月日 1965年11月24日
出身 北海道
身長 160cm
所属 エンパシィ
小学校・江別市立大麻中学校
中学校・江別市立大麻中学校
高校・北海道札幌啓成高校
大学・地元の短期大学
北海道江別市大麻出身。
父親は高校の校長先生。
本名は古村郁子。
姉がいる2人姉妹。
小学校は江別市立大麻中学校、中学校は江別市立大麻中学校を卒業。
子供の頃は人見知りが激しい子供で、小学校の通知表には『内気でおとなしい』や『もっと意見を述べましょう』と書かれていたそうです
5歳からクラシックバレエを習い、高校2年生まで続けていました。
踊ることは大好きでしたが、発表会になるとダメで小学校1年生の時にソロパートを任された時にはからだが動かなかったといいます。
中学ではソフトボール部に入部。
ソフトボー部には姉が在籍していたため、半ば強制的に入部させられたといい、ポジションはピッチャーでノーコンだったそうです。
高校は北海道札幌啓成高校を卒業。
北海道札幌啓成高校北海道札幌市厚別区厚別東にある男女共学の道立高校。
現在の偏差値は62。
高校卒業後は養護教諭を目指し、資格が取れる地元の短期大学に進学。
大学には何をやりたいのかまだわからないまま入学してしまったといいます。
『このまま何も社会経験もない私が先生になってもいいのだろうか?』
最初の授業でそのまま養護教諭になるのが怖くなり行けなくなり、留年が決まった時に両親に話し、1年間休学していろいろなことを経験して自分を試してみる許可をもらったそうです。
短大休学後は洋服店や宝石店などでアルバイトをしながら自分が何をやりたいのか模索していたといいます。
古村比呂が女優になたきっかけ
古村比呂さんが芸能界入りしたきっかけはスカウト。
短大を休学してアルバイトをしている時に、地下鉄のポスターのモデル話しをもらったそうです。
その後、別のポスターの撮影もし撮影カメラマンに地元の北海道テレビの『派手~ずナイト』のアシスタントのオーディションを受けてみないかと言われ、受けてたところ合格。
番組の出演者だった小説家の景山民夫さんに、
『おもしろい顔をしているね。芸能界に興味ない?』
『東京に見学に来ない?』
と言われ、のぞいてみたいとの気持ちで、出演していた『派手~ずナイト』が終了したのを機に1985年に上京。
同年、クラリオンガール準グランプリに選出。
翌年の1986年2月公開の映画『童貞物語』のヒロインオーディションで優勝し女優デビューしました。
映画で女優デビューするまでにいくつかのCMやモデルもしていましたが事務所から出演料は貰えていなかったといいます。
事務所の社長とも会ったことはなかったそうです。
『童貞物語』の撮影中に事務所社長が逮捕され事務所は解散。
古村比呂さんは、
『東京は恐ろしいところだ』
とショックを受けたといいます。
その後はマネージャーと事務所を移って活動しました。
古村比呂 チョッちゃんのヒロイン
事務所を移って活動していた古村比呂さんすが、オーディションの不合格が続き、これががダメだったら北海道に帰ろうと思って受けたのが1987年4月からの朝ドラの『チョッちゃん』のオーディションでした。
朝ドラのオーディションは1つ前の『都の風』も受けて落ちていたそうです。
『オリジナルの曲だと上手いか下手かわからないじゃないですか(笑)』
落ちたら北海道に帰ろうと思っていたため好きなことをやろうとチョッちゃんのオーディションでは自作の歌をうたったといいます。
『チョッちゃん』のヒロインに選ばれたことで一躍人気女優となりました。
当時、21歳でした。
古村比呂の離婚した元夫の布施博との離婚理由は?
古村比呂さんが布施博さんと結婚したのは1992年。
結婚時は26歳。
元夫の布施博さんは7歳年上。
馴れ初めは1989年2月に放送されたドラマ『カラス泣いたか笑ったか』での共演でした。
3年の交際期間を経て結婚しました。
結婚後は一時女優業は休業していました。
離婚したのは2009年4月。
結婚17年目の離婚でした。
離婚時古村比呂さんは43歳。
離婚理由は元夫の布施博さんの浮気。
浮気が発覚したのは結婚3年目の1995年8月でした。
相手は布施博さんが主宰していた劇団の劇団員の女性。
浮気は報道され、布施博さんはマスコミの前で釈明会見を行いました。
この時にすでに夫婦関係は崩壊しており、浮気発覚から3年後に子供を連れて別居。
別居から3年後に古村比呂さんは女優に復。
2008年12月古村比呂さんが調停を申し立て、2度目の調停で合意を得て離婚が成立しました。
離婚前の3年間は会話もない状態が続いていたそうです。
古村比呂は息子で何人?
古村比呂さん子供はは3人。
3人とも息子です。
長男が1992年
次男が1993年
三男が1997年
に誕生しました。
『長男は真面目で慎重、性格的には私に一番近いかもしれません。次男は嘘のつけない正直者で、相手の気持ちをくんで寄り添える子です。三男は子供のころから大人びていて、感受性が豊か。同じ家庭環境で育ったのに、3人の性格はおもしろいほどバラバラです』
引用 https://8760.news-postseven.com/
離婚時、長男は17歳、三男は12歳ぐらい。
離婚後の子供の親権は古村比呂さんが持ちました。
古村比呂のがんのステージや再発の経過は?
古村比呂さんは2012年1月に検査で子宮頸がんが発見されました。
がんはステージ1でした。
がんが発見されたのはアフリカで2週間のロケの仕事が入り、月経周期をずらそうと考え産婦人科を受診したことがきっかけでした。
産婦人科は受診したの三男を出産して以来14年ぶりだたといいます。
『時間もかかりません。ついでですから』
医師に勧められ断る理由もなかったことから、検査を受けたことでがんが発見されました。
自覚症状はなかったそうです。
2012年2月に子宮頸部の一部を切除する手術を受けましたが、がんが周囲の組織に広がっていることがわかり、翌月3月に子宮の全摘出手術を受けました。
同年5月に左足にリンパ浮腫を発症。
くるぶしも見えないくらいに腫れ上がったそうです。
2017年3月、子宮頸がんの再発が判明。
抗がん剤・放射線治療を受け、7月には腫瘍マーカーが正常値となり回復を見せましたが、11月にがんの肺とリンパ節への転移がわかり、2018年1月から抗がん剤治療を開始。
2019年2月に経過良好のため抗がん剤治療を休止したことを明かしました。
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