京都府出身の小杉竜一さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚や妻は?
子供は何人?
今回はお笑い芸人の小杉竜一さんについてリサーチしてみました。
目次
小杉竜一の学歴・生い立ち・経歴
名前 小杉竜一
生年月日 1973年7月5日
出身 京都府
身長 170cm
所属 吉本興業
小学校・京都市立桂東小学校
中学校・京都市立桂川中学校
高校・・桂高校
大学・・進学していません
京都府京都市出身。
小学校1年生の時に両親が離婚し、母親に引きと取られ母子家庭で育ちました。
兄弟は5歳下の弟。
小学校は京都市立桂東小学校、中学校は京都市立桂川中学校を卒業。
小学生時代は何度か転校をしています。
子供の頃は内気で大人しい性格でした。
普通に遊んでいた友達に無視されるなどいじめも経験したといいます。
小学生の時に空手を始め中学生まで習い、一級茶帯。
高校は桂高校に進学。
桂高校は京都府京都市西京区にある男女共学の府立高校。
現在の偏差値は44~55。
高校時代はラグビー部に所属。
ポジションはフォワードのプロップ。
大学受験には失敗、1年浪人後も受からず大学を諦めて、1年間アルバイト生活をしました。
小杉竜一が芸人になったきっかけ
「こういうことの延長にお笑わらい芸人の仕事しごとがあるんちゃうかな」と気きづいた小6の時。「お笑芸人になりたい」との思い抱くようになったと言いいます。
引用 https://mainichi.jp/
小杉竜一さんは小学生の頃、友達に無視されるなのいじめにあい、当時に唯一の救いは『お笑い』。
当時は『漫才ブーム』でテレビで『お笑い』を見ることで、救われていたといいます。
小学4年生の時に、いじめられたら、当時、流行っていたモノマネで返すようにしてみると、
『あいつ、面白いな』
と少しずつ友達が増えていったそうです。
小学校5年生の時にも転校しましたが、手応えをつかんいた小杉竜一さんは、たくさん友達ができたといいます。
このことがきっかけでお笑い芸人になりたいと思い、高校時代からお笑い芸人になりたいと思っていましたが母親に言い出せず、大学に行きながら芸人を始めようと大学受験するも失敗。
1年浪人後も大学受験に失敗。
芸人になること決め、NSC入学願書を提出しようとしましたが締め切りが過ぎていたため、1年間タレントショップでアルバイトをした後に入学しました。
小杉竜一 ブラックマヨネーズを結成と由来
小杉竜一さんは1994年にNSC大阪校に13期として入学。
当時20歳でした。
同期には、チュートリアルの徳井義実さん、次長課長、野性爆弾などがいました。
入学後は高校時代の同級生と『関西キング』というお笑いコンビを組んでいましたが、相方が結婚して引退。
『ツインテール』というコンビを解散した吉田敬さんに誘われ1998年に『ブラックマヨネーズ』を結成。
コンビ名『ブラックマヨネーズ』の由来はMr.Childrenのように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもの。
マヨネーズという身近なものの名前を入れることで
『マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら』
という思いも込められているといます。
ブラックマヨネーズ M-優勝でブレイク
ブラックマヨネーズが初めてM-1グランプリに出場したのは2001年の第1回。
2001年から2004年まではすべて準決勝で敗退していました。
2005年のM-1グランプリで初めて決勝に進出。
2005年になってからネタのスタイルを吉田敬さんの、
『ラジオのように2人で喋りながらネタを作りたい』
という提案で、それまで吉田敬さんがひとりでやっていた台本作りを2人で1から行うようになっていました。
決勝戦で披露した2本のネタは、半年以上前に出来たネタでしたが、ネタの鮮度を保つため封印していました。
M-1グランプリで優勝後、2008年から拠点を大阪から東京に移し、全国区の人気を獲得しました。
小杉竜一の結婚や妻
小杉竜一さんが結婚したのは2010年11月。
37歳の時でした。
妻は元歯科助手の女性。
年齢は14歳年下で、結婚時は23歳。
馴れ初めは相方の吉田敬さんの紹介・
妻の元歯科助手の女性は、吉田敬さんの妻の知り合いで、小杉竜一さんのファンであることを聞き紹介したそうです。
交際期間約2年を経ての結婚でした。
結婚時に妻が妊娠4ヶ月であることも発表されました。
小杉竜一の子供は何人?
小杉竜一さんの子供は3人。
子供は息子が2人と娘が1人です。
2011年に4月に長男
2016年1月に長女
2020年7月に次男
が誕生しました。
小杉竜一さんは第3子の次男が生まれた時、47歳でした。
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